スポーツチームやメーカー、ブランドのロゴが入ったTシャツやジャンパー、バッグにステーショナリー、雑貨。
そういった販促グッズやノベルティの営業から企画開発、デザイン、生産管理、納品まで一貫して手掛け、他にはない価値を生み出しているのが浅草橋にある「ユニファースト」だ。
unique(ユニーク)+fast(迅速なサービス)を標榜し、確かなクオリティと年間300万個以上の商品を生み出す高い生産力、そして、独創的なアイデアを取り入れたオリジナル商品は、多種多様な業界から絶大な支持を得ている。
今回、昨年より代表取締役社長に就任した三代目・橋本敦さんに、その半生とものづくりへのこだわり、そして、浅草橋への想いについてうかがった。
シルクスクリーンプリント屋として創業
ユニファーストは、1980年代に先代である父と母、友人が墨田区ではじめたシルクスクリーンプリント屋をルーツに持つ。
当初は、街の小さな印刷屋だったが、ノベルティ制作をはじめ、1981年にユニファーストを設立。90年代に浅草橋に移転した。
当時は、現在の自社ビルではなく、駅前の雑居ビルの一室にあった。
「その頃は、人形や玩具、衣類などの問屋が今よりも多くて、賑わっていました。子どもの頃は、よく自転車で花火を買いに行った思い出がありますね」
そう話す橋本さんは、墨田区生まれ育ちの生粋の東京っ子。
10代の頃は、学業よりヒップホップ・ミュージックにのめり込み、15歳の頃からDJとしてクラブに出入りしていたという。
「毎晩のように、渋谷や六本木のクラブに行っては朝帰りの繰り返し。学校ではない場所での社会勉強しかやっていませんでした(笑)」
留学で培った「求められたものに応える」力
橋本さんは高校卒業後、先代の勧めもあってアメリカ・ロサンジェルスに留学する。
語学学校から始まり、短大から四年生大学に編入。デジタル・メディア・アートを学びながら、ラジオ局でのインターンやクラブDJなど音楽活動にも精を出していた。
その頃、クラブで年間100本以上、DJとしての仕事をこなす中で、現在のものづくりに繋がる「求められるものに合わせる」力が自然と養われたと話す。
「地域やハコによって集まる人種が異なるので、たとえば、黒人が多いエリアならブラックミュージック、アジア系ならポップス、白人ならロックを取り入れるなど、空気を読んでその場が求めるものに応えないと盛り上がらない。その感覚は、時代やトレンドを見極めるマーケティングに非常に役立っています」
そして、アメリカでも有数の人種の坩堝であるロサンジェルスでの暮らしによって、フラットなメンタルが培われた。
現在、ユニファーストでは、約50人の社員の3割が外国籍で、女性も多く活躍している。
「先代もそうだったのですが、人種に偏見がないというより、日本人や男性しか働いていないほうが不自然という感覚なんです」
その先進的なスタンスが社内に通底しているからこそ、外国人が働きやすい環境だけでなく、中国の各エリアをはじめ、カンボジア、ベトナム、ミャンマーなどの東南アジアやインドやバングラディッシュといった南アジアまで広がる世界の各拠点とのスムーズかつ密接な連携が取れ、ローコストでハイクオリティな大量生産を実現しているのだろう。
流浪の修業時代をサバイブし、復職直後に突然の訃報
アメリカで6年暮らしたあと、橋本さんはユニファーストの上海支社に入社。仕事の基礎を学んでから、大阪支社に異動し、営業職として現場に出る。
そこから外の世界を見るために、大阪に支社がある広告代理店に転職。広告については、元々大学がメディア専攻だったので興味のあった業界だった。テレビや新聞、雑誌、Webといった媒体の買い付けや、大手企業をはじめとしたCM制作のノウハウやマーケティングの基礎などを実地で学んだという。
「その時の社長が自分と同じ二代目だったので、その苦労やユニファーストに戻って取り入れられることなど、非常に勉強になりましたね。先輩の営業社員やマネージャーは私に厳しく優しく接してくれました。感謝しかありません」
そこで3年半の修行を積んだあと、2014年にユニファーストに復職。
進学で日本を離れてから13年の時を経て、東京・浅草橋に戻った翌月、当時会長職に就いていた先代が急逝した。
「できる人間だけ優遇するな」という教え
橋本さんは、二代目経営者が先代からたたき込まれる所謂“帝王学”は受けず、経営についての勉強は学校や書籍、一流の社長仲間から独学で吸収していったが、「人を大切にする」ことについて、先代のあるエピソードを教えてくれた。
「先代はよく鳩に餌をあげていたのですが、遠くにいる鳩ばかりにあげている。その理由を聞いたら、近くに来られるやつは強いやつだから、と。深い意味はなかったのかも知れないですが、できる人だけを優遇してはダメだ、ということだと思いました。どんな社会においても弱い立場の人や困った人に目を向けるのは大切なことです。困った時はお互い様ですから。これからも、人を大切にする経営を貫いていきたいです」
先代はワンマン経営だったが、現在勤めている3分の2が先代の頃に採用した社員で、全体の平均勤続年数が11年という離職率の低さが、そのスタンスが徹底されていたことを物語っている。
その上で昨年より代表取締役社長に就いた橋本さんは、人事の改革を行なった。
「売り上げのいい営業だけでなく、デザイナーや生産管理など、これまでスポットライトの当たっていなかった裏方も、給与面やポジションで公平になる環境にしました。バックオフィスに元気がないと、いいものも生まれず、前線で売りにいけないので。人事評価制度はまだまだ始まったばかりですが、人種・性別・役職・宗教・年齢に関係なく、社員一人ひとりが成長できる環境づくりを、社員一丸となって頑張っています。私も含め日々新しいことに挑戦中です」
風通しがよく、社員一人ひとりの強みがいかんなく発揮される環境で生み出される「世の中にない」斬新なプロダクトとは——。
(後編へ続く)
[後編]「“つくる”を通して社会に貢献する」 [ユニファースト]代表取締役社長・橋本敦さんインタビュー文:藤谷 良介
写真:伊勢 新九朗