アレはいつだったろうか。最初の記憶は光景でなく、間違いなくあの芳醇な香りだった。
それが熱せられた鉄板で弾ける迸る肉汁からだったか、はたまたペレットで沸き立つソースからだったのかは定かではないが、鼻腔を通り肺胞を満たしたあの香りを嗅ぐ度に、〝プルースト効果〟によっていつでもあの頃に引き戻される。
嗚呼、想い出の「わかき」よ
「ステーキレストラン わかき」
とはいえ、年端もいかないガキにとっては、レアなステーキを噛み続けることは至難の業。いつまでも不機嫌な顔で飲み下せずにいる愚息を見るに見かねた母から、
「アンタ 今度来た時はコレにしてごらんよ ほらチーズ好きだし」
と、その日を境に、家族4人で行った日も、爺さん婆さんと二世帯で行った日も、母の友達が来て外食の際も、脇目もふらず『チーズハンバーグ』一筋の人生だった。
そんな近場の贅沢の極みである『わかき』が閉まるという噂を耳にし、居ても立っても居られず、押っ取り刀でランチに向かった。
オーダーは無論チーズハンバーグ
「付け合わせはコーンにしますか? 人参にしますか?」
「ライスにしますか? パンにしますか」
「ドレッシングは和風にしますか? フレンチにしますか? サウザンにしますか?」
“コーンでライス(大盛)でサウザン”、この組み合わせも不動のトリオ。
ここのドレッシングはとにかく絶品だった。お陰でサラダが嫌いでなくなったというほどだ。
早る気持ちと食欲の抑えが効かなくなる寸前に、湯気を湛えて鉄板に乗ったチーズハンバーグ(2つ盛)はテーブルに運ばれてきた。
「ナプキンをテーブルに広げて下さい」 と促されるままにする。
そこに熱々の鉄板が置かれ、ソースが注がれるやいなや、たちまち沸き立つソースの音色は、さながら万雷の拍手のようだった。
この光景と香りを前にして興奮しない人間は居ないだろう。
そして、喜び勇んで早速ナイフを入れる。
確かな弾力を感じた次の瞬間に、スッと受け入れられる。
断面から立ち昇る湯気にすら味がついているかのようだ。
こっくりとしたチーズが均等に乗るように切り取ったハンバーグは、口の中に運んだ瞬間に、〝幸福のテロリスト〟と化す。
そのテロ行為によって完食に至るまで、一切の言葉は奪われてしまう。
路地裏なのにランチどきは満席が常!
そして、毎度の事ながら、背後では今や遅しと順番を待っている客がひしめいているのを目にし、満腹感と幸福感に満たされ、はち切れんばかりになり席を立つ。
ただ今回がいつもと違うのは、この感覚に浸れるのが最後だということだった
レンガの階段までびっしりと並んだ客達の顔々を尻目に、年の瀬の浅草橋は晴れ渡っていた。
最後に……
今回ここに寄稿するにあたり、「ステーキハウスのステーキも喰ってねぇ奴が、しゃしゃり出る場面じゃあねぇんじゃねぇか」とも思いながらも、ここのハンバーグの味に魅せられて以来、洋の東西を問わず数多のハンバーグを食してきた上で、”基準がわかき” からの評価になるほどには、〝あの味〟を愛していたという自負もあったので書かせていただいた次第である。
そして、読み物媒体でありながら、”言葉は奪われたと”言い切らせてもらったのには、ここの味を味わったことのある読者の方との共犯意識と、残念なことに味わいそこねた方へのささやかな優越感である。
写真・文:モトクニ