今、この浅草橋の街で、とある珍しいコンサートが毎夜開催されていることをご存知でしょうか。
『あなたとわたしの萬音百夜』
と題されたこの演奏会は、タイトルの通り100日間毎日開かれています。
演奏スタイルはあまり聞きなれないコントラバスの独奏。それを鑑賞する客は一人、もしくは生活を共にする一組限定。
つまり “一人の聴き手に向けて一人の弾き手が音を奏でる” という、なんとも濃密な時間を体現したコンサートなのです。
こんな型破りな企画を、一体誰が、どんな思いで、開催しているのか。
そして、気になる演奏の様子をご紹介いたします。
優雅に激しく……心震わすパフォーマンス
百夜を通してコントラバスを奏でるのは、このコンサートの発起人でもある内山和重さん。
会場は蔵前通りにほど近いビルの4階にある「gallery kissa」です。
やわらかい照明とアート作品に囲まれた空間にキャンドルの灯りが添えられ、ムードは完全にでき上っています。
用意された席に腰かけると、大きなコントラバスを抱えた内山さんと真正面で向き合う形となり、まさしく“一対一”で行なわれるのだと改めて実感。はじめは少し緊張してしまいましたが、内山さん自らの簡潔な曲紹介を経て、いよいよ演奏が始まるやいなやあっという間に心をつかまれてしまいました。
私の音楽への知見が乏しく、素人な感想しか述べられないことが歯がゆいところですが……。
そのうえで、この間近な距離で繰り広げられるコントラバスの演奏というものが、いかにセンセーショナルであったかをお伝えしましょう。
通常では、60分ほどの公演時間のなかで、バリエーション豊かな8~9曲を演奏されるそうですが、今回は取材時間の関係もあり、内山さんセレクトの3曲を披露していただきました。
コントラバスの生演奏というものをおそらく初めて体験したのですが、まずは、その身体の芯にまでジンジンと伝わってくる低音の振動に驚きました。
ましてや、この距離感なので、その感覚は一層高まっているのだと思います。
お客さんのなかには、あえて椅子を使わず床に直接座ることで、よりその振動を強く味わおうとする人もいるそうです。
また、どこかでコントラバスという楽器は穏やかでゆったりとした演奏のイメージがあったのですが、実際の内山さんのパフォーマンスは想像以上にダイナミックで迫力のあるものでした。
自身と同じくらいある大きな楽器を抱きかかえるようにして支え、激しい曲調のシーンではそれだけ全身を大きく使って弦を鳴らします。
特に、2番目の『タンゴ エチュード NO.3 エネルジーコ』という曲は、男女がタンゴを踊るときのために作られた曲だそうで、まさに、内山さんとコントラバスが一体となってダンスを踊っているようにも見える情熱的な演奏でした。
しかし、それでいて常に雄大で落ち着いた世界観が崩れないのは、コントラバスの持つ心地よい低音の響きと演奏技術のなせるわざなのでしょう。
最後に披露していただいた内山さん作曲の『駱駝の唄』は、横に寝かせたコントラバスをヒトコブラクダに見立て、コロナ禍という不遇の砂漠を乗り越えてオアシスにたどり着くことをイメージして作られたそうです。
この曲では、琴のように横たえたコントラバスを撫でるように弾いたり、柳の枝で打楽器のように弦を叩いて音を鳴らすなど、演奏スタイルも非常に独特で魅了されてしまいます。
大きな会場で演者と観客が一体となってグルーブを起こすコンサートももちろん魅力的ですが、“今この音楽が自分だけに向けて演奏されている”という贅沢感とある種の緊張感が、これまであまり味わったことのない濃密な音楽体験になったことは間違いありません。
それこそがこの「萬音百夜」の醍醐味なのだと思います。
音楽を突き詰めるうちに出会った“一対一の独奏会”
高校の吹奏楽部時代からコントラバスを始めたという内山さん。
「立っているだけで様になる、存在感のある楽器」だったことに魅かれたのだとか。
現在は、東邦音楽大学実技研究員を務めるほか、コントラバスの演奏を教える立場としても精力的に活動されています。
本来、演奏のなかではリズムを出して全体を支える役割の多いコントラバス。
決して独奏向きの楽器ではないとわかりつつ、内山さんはコントラバス奏者として、「“低くて大きいからできない”は言いわけだ」、「自分一人できちんと音楽を完結させられるミュージシャンにならないといけない」と考えるようになったそうです。
そして、ついに2016年から本格的にコントラバスの独奏コンサートを始めると、大前提として“珍しい”この試みは、改めてコントラバスの低音の心地よさを堪能できるということで好評を得ました。
しかし、ご存知の通りコロナが世間に猛威を振るったことで2020年に予定していた公演が軒並み中止になると、今度は大勢で集えない状況を逆手にとった一対一のライブ形式に挑戦します。
目黒の古民家スタジオで催された初の一対一での独奏会を経た内山さんは、普段の演奏以上にお客さんが集中して聴いてくれることや、お客さんによって姿勢や感じ方がそれぞれ変わってくることなどに新鮮なやりがいを覚えたそうです。
確かに今回、私自身もほかに観客がいないことで周囲の反応に流されず、自然と生まれた感情を素直にそのまま飲み込むような鑑賞ができました。
そんな折、友人のつながりで知り合った「gallery kissa」の瀧本さんに、新たな独奏会の企画を相談していたところ、「100日くらいやらないとインパクトがないよ」、「うち使ってくれていいから」と背中を押されたのだそうです。
偶然にも、1年ほど前から自身も柳橋へ移り住んでいた内山さん。
そういった縁も相まって、今回の『あなたとわたしの萬音百夜』は実現しました。
ちなみにこの企画は、「令和3年度芸術文化支援制度対象企画」でもあり、台東区から助成を受けて開催されています。
心躍り、心休まる贅沢な時間を
大勢の前でのコンサートと違い、一対一で行なう演奏では、相手が今どういう風に聴いているかを常に感じ取り、フィードバックすることができるそうです。
つまり、百人百様のお客さんを相手にすれば、演奏も全体の空気感も百夜百様。その繊細なまでのライブ感を味わえることこそが、このイベントの目的だと言えます。
この日、24日目の公演を終えた内山さんに、現時点での感想を聞いてみました。
「率直に、音楽家としてこんなに幸せなことはないと思ってます。だって毎晩、ものすごい真剣に自分の音を聴いてくれる人がいて……これは本当にミュージシャン冥利に尽きる」。
一見すると顔立ちも人柄も柔和な内山さんですが、その内に秘めたる音楽への想いと演奏する姿はとても情熱的な人でした。
100日間の特に後半は、まだ予約が可能だそうなので、皆さんもこの冬ぜひコントラバスの音色に包まれて酔いしれる体験をしてみてはいかがでしょうか。
ちなみに、今回の素敵な会場である「gallery kissa」の記事こちら
猫好き必見、看板猫のいる穴場カフェ&ギャラリーkissa/浅草橋そして、幻想的な空間を作り出していたオシャレなキャンドルは、柳橋にある「アリコルーム」で買ったり作ったりすることができますよ。
「アリコルーム」の記事はこちら
秋の夜長にキャンドルを。浅草橋「ARICO ROOM/アリコルーム」でお家時間に癒しを灯して「あなたとわたしの萬音百夜」イベント情報
『あなたとわたしの萬音百夜』
開催日:2021/12/4 (土)~ 2022/3/13(日)
開演時間:18時(日)・14時(月)・20時(火~土)
参加費:9000円
予約:https://gallerykissa.jp/100dayslive
お問い合わせ:03-5829-9268
浅草橋でしか味わえない音楽を……。
文:小林
撮影:伊勢 新九朗