【HUMANS OF ASAKUSABASHI】映画のような人生を歩む男、 浅草橋でブルースを奏でる!-モトクニ-前編

暮れなずむ茜色の夕日を背景に、ブルースを奏でる男。

マンションが立ち並ぶ一角に、突然現れた屋上の野外ライブステージ。

残暑の渇きをギネスビールで潤しながら、男が奏でる音色に耳を澄ませる。

まるで映画の一場面を切り取ったかのようなフォトジェニックな空間。

ここはどこだ? アメリカ東海岸か? ロンドンか? いや、浅草橋だ!

男は、「モトクニ」と名乗った。

「モトクニ」が姓なのか、名なのか。それすらわからない。

一つだけ確実なのは、この男は「異次元に生きている」ということ。

まるでスクリーンに映し出される、ロックミュージシャンのように。

浅草橋が生んだ「謎の男」、モトクニの半生に迫っていくと、そこには誰よりも深い、浅草橋への愛があった。

当時の写真と同じ場所で、兄弟のツーショットを撮ってみた。背後に見える株式会社ヤマダの看板は変わらず残っていた

モトクニ、浅草橋と浅草のハーフとして誕生する

1980年、モトクニは、浅草橋出身の父と浅草出身の母のもとに、柳橋病院で生をうけた。生粋の「江戸っ子」である。2歳年下の弟とともに、浅草橋の路地や隅田公園で、少年期は遊びまわった。

「隅田公園や隅田川は、江戸の隅っこだから『隅』だっつぅ。花見んときだとか花火大会なんかで『隅田』と『墨田』をごっちゃにされんのがイヤだね」

この感覚、「本物の江戸っ子」でなければ全然わからない……。

モトクニは、自分が話す言葉は「江戸弁」だという。「シ」と「ヒ」が入れ替わり、ラ行は自動的に巻き舌、時代劇や落語などで聞くことができる言葉。それを、今を生きるモトクニがしゃべっている。下町文化は確かに継承されている。

モトクニは現在、「通訳」「翻訳」を主な生業としている。英語はもちろんペラペラ。ドイツ人の相棒フィリックスとともに、オーストリアやドイツ、スイスなどのメディアに極東の情報を発信している。なぜ、江戸弁の使い手が通訳や翻訳の仕事をしているのか。そこに至るには、長い物語がある。

浅草橋のモトクニの自宅にあったモンチッチの人形。40年以上前のものだ

懐かしい「トランスフォーマー」のオモチャ。一気に少年時代にタイムスリップする。モトクニのコレクション

弟と戯れるモトクニ。当時のオモチャをまだ持っているのはすごい

「笑点」と「暴れん坊将軍」はご近所物語だった

「俺がいちばん始めに英語をっつぅより、最初の発した言葉は『Paper』。 ほっとんど記憶はねぇんだけど、ちょうど言語野が発達する時期にハワイに居たらしくて、当時は浜辺にペーパーボーイっつぅ新聞売りが『Pa~per~!!』っつって売り歩いてたんだって。で、それをまいんち(毎日)浜辺で聞いてたから、ある日突然ママでもパパでもなく『Paper』だったっつぅハナシ。で、柳橋にはまだ高砂部屋があってさ。後々そこに小錦が来日して、当時あの辺で英語喋れんのがお袋ぐれぇだったから、見様見真似ならぬ“聴き様聴き真似”で『How are you?』 だなんて、覚えたての英語で話したんだよね。にしても、デカかったなぁ~」

1984年まで国技館は蔵前にあった。そのため、柳橋地区には高砂部屋などの相撲部屋がいくつかあり、朝潮、高見山、小錦などと駅周辺で出会うことも少なくなかったという。

「年端もいかねぇガキの頃に不思議だったのは、『笑点』と『暴れん坊将軍』。『笑点』ってさ、当時は大喜利の前に噺家の師匠方が一席やるんだけど、落語に出てくる地名が近所ばかりでさ。『蔵前の、さる大家の旦那、定吉(丁稚)を使いにやらそうと…』とか。『観音裏がどうのこうの』とか。どうしてこの爺さん達ゃ、ウチの近所の話ばっかしてんだ? と思ってたから。昔の話をしてるだなんて思いもしなかったから。『暴れん坊将軍』なんかでも、なんでウチの近所に侍がいるんだ?って(笑)」

またしても、江戸っ子ならではの思い出。地方出身者にとって、聞く話のすべてが真新しく新鮮。落語のように人を惹きつけるモトクニの話術に、すっかりトリコになってしまった。

幼い頃から祭が大の楽しみだった

ブルーハーツがその後の人生を決定づける

浅草橋の路地を知り尽くし、自転車を立ち漕ぎして、猛スピードで走り回っていたモトクニ。やんちゃな少年時代の世界のすべては、「台東区」にあった。

しかし、運命の出会いが小学生の時にやってくる。

相手はブルーハーツのヒロト(甲本ヒロト)だった。

「TVで『リンダ リンダ』を歌うヒロトを見て、この人どうかしちまってんのかな と最初は単純にビックリしたね。当時はチェッカーズだとか光GENJIやなんかが流行ってたんだけど、俺はずっとブルーハーツを聴いていた。どの曲もすぐに覚えちゃったよ。」

ヒロトは鼻歌で作曲していることを、雑誌「宝島」で知ったモトクニ。このときはギターを始めなかった。なぜなら、憧れのヒロトがギターを弾いていなかったから。

しかし、中学2年の時に転機が訪れた。御茶ノ水の中古レコード屋ででブルーハーツのビデオを買い。喜び勇んで帰宅後食い入るように見はじめ、アンコールの最後の曲で事件は起きた「ナビゲーター」が始まるとヒロトがギターを演奏していた⁉︎

「これが、嘘だろと思うほど下手クソでね。ずっと、コードチェンジの手をガン見してんのよ。でも、ヒロトがギターを弾くんなら、俺もやんなきゃってことで、すぐにギターを始めたのよ」

モトクニ少年は、母の実家の物置からギターを引っ張り出し、練習に練習を重ねた。ビデオを観てパントマイムのようにヒロトの動きをコピーしていたから、右手のストロークの動きは完璧だった。あとは左手でコードを押さえられるようになればいい。

名曲「夕暮れ」の練習を繰り返す。「G」はいけた。「D」もいけた。「Em」までいけるようになった。「Bm」で苦戦。しかし、繰り返し続けた。すると、ついに美しい音色を奏でられるようになり、いつの間にかブルーハーツの曲をすべて弾けるようになっていた。

当時を思い出して、コードを押さえるモトクニ

「ロックスターになる宣言」をして高校を卒業

ブルーハーツ。その解散後はハイロウズを完全に自分のものにし、バンド活動に熱中した高校時代。ファーストステージは高校の学園祭だった。

「これが大成功してしまってね。お客さんは総立ちで、ステージに乱入してくるほど盛り上がった。その原体験が強烈で、今に至るまでこじらせ続けてる(笑)。当時、浅草橋にはライブハウスも洒落たカフェもない。平屋しかない(笑)。だから、下北とか高円寺でライブをしていた。下町の子はみんな、下北に憧れていたよね。距離的には近いんだけど、意識的には『遠いな~』と思ってた。江戸は本郷までだから、国境を超えていく感じだよね(笑)」

また、高校時代は浅草橋にあったコンビニエンスストアでバイトをしていた。

モトクニは、当時の「やりたい放題」ぶりを懐かしく語る。

たとえば、麻原がサリン事件を起こしたとき、コピー機で雑誌の麻原の写真をA3に拡大コピーして、コンビニのガラス窓に貼ったそうだ。すると、近所の交番から、お巡りさんが駆けつけてきたとか。

また、バイト仲間と一緒に、お客さんが来たとき、どうボケるかを競い合っていたらしい。

「バーコードリーダーの代わりに靴墨を使って、『あれ? おかしいな?』なんつって、ふざけたてたよ。かわいい子が来たら、ソフトクリームを12段にして渡したり。それをバックヤードの監視カメラで見て、みんなで爆笑するわけよ。今そんなことやったら、大炎上だよね。あの頃って、ある意味いい加減で、寛容な時代だったと思うな」

確かに今そんなことをしたら、SNSで告発されて、一発でアウトだろう。
モトクニから語られる青春時代のエピソードは、どれもが青春映画の中の1エピソードに思えてくる。

高校の進路指導では、「ロックスターになる」と宣言するほど、モトクニは本気だった。本気というか、「ロックスターになる」人生以外は考えられなかった。

「今も、当時と何も変わってないよ」とモトクニは笑う

モトクニ、23歳で「マジで」ロンドンに旅立つ

大学に入学するものの、つまらなくて中退。その後、雑貨屋、古着屋などで働くも、心の片隅には常に「ロンドン」があった。ブルーハーツをきっかけに、ローリングストーンズ、キンクス、ザ・フー、ヤードバーズ、クリームなどのUKロックに熱中した。ルイスレザーズの革ジャン、古着、オートバイ、007、ミスタービーン、ツイッギー、ヴィダルサスーンなどなど、好きになるものがすべてイギリスのものだった。当時はオアシスなどのブリットポップが日本でも人気を集めていたが、モトクニの射程は60年代だった。

本物の「ロック」、本物の「イギリス」に憧れ、その場でギターをかき鳴らす夢が薄れることはなかった。

ストーンズやボブ・ディランなど大好きなものに溢れたガレージ

ルイスレザーズの革ジャンを着て、今日も走り出す

モトクニはロンドンに旅立つ前、蔵前の「太陽進学塾」で個人指導の塾講師を務めていた。「このへんで中学受験をした人なら震え上がる進学塾」とモトクニは笑う。モトクニも小学生のとき「太陽進学塾」に通っていた。抜群のトーク力と指導力で、すぐに人気講師となった。このまま塾講師として生きていく道もあった。バンドを続けながら、塾講師をして、家族を作り、一生浅草橋に定住する人生もあったはずだ。しかし、モトクニは旅立った。

2003年6月。モトクニは、ギターを背負って、飛行機に飛び乗る。

イギリスには、誰一人として知り合いなどいない。

23歳、浅草橋のロックンローラーの挑戦が始まった(後編に続く)

【HUMANS OF ASAKUSABASHI】 映画のような人生を歩む男、 浅草橋でブルースを奏でる!-モトクニ-後編

文:堀田 孝之
写真:伊勢 新九朗