浅草橋西口の「サッポロラーメン天竜」は、地元人の“バシっ子”たちが「浅草橋を語る上で外せない」と口を揃えて言う老舗だ。
次々と新しい店ができては無くなり変わり続ける浅草橋で、いつもそこにある赤いファサードと暖簾の店は、「ノスタルジック」のひとことでは言い表せない“街の味”を守り続けている。
今回、55年の歴史の中で初めてカメラが入り、前編ではその味について紹介した。
後編では、知られざる店の歴史、そして、お客さんへの思いについてうかがった。
浅草橋駅西口目の前!バシっ子たちを育てた“街の味”を 守り続ける「天竜」昭和30年代の活気に満ちた浅草橋
お客さんが帰り営業が終わったあと、改めて二人に話を聞いた。
もともとご主人は長野県で生まれ育ち、二十歳前後で現在のお店の並びにあった叔父が営む中華料理屋を頼り、昭和30年代に上京した。そこで料理人として修行しながら街を出前で駆け回り、夏は氷の配達にも勤しんだ。まだ一般家庭に冷蔵庫が普及する前の時代。おがくずが入った箱に氷を入れ、リアカーで周辺の店から民家まで西へ東へと届ける中に、女将さんの生家である甘味喫茶があったという。
その頃の街の情景は、今とはまったく違ったものだった。
「よく覚えているのは婦人服屋。どんな小さな店でもデザイナーがいて、浅草橋はわざわざ他所から買い物に来る洒落た街だったんだよ。問屋も多くて、ここから東口まで喫茶店が12軒あって、入ろうとするとドアガールが開けてくれたり。朝は出勤前のモーニング、昼は商談したり商売人で賑わっていたね」
二人三脚で「天竜」の歴史がはじまる
この街で二人は出会い、やがて人生の歩みを共にすることに。
当時25歳だったご主人が独立してお店を開いたのは、浅草橋ではなく北池袋の重林寺の近く。その時、縁があって人に教えてもらったのが、当時ブームになる前の味噌ラーメンだったという。
そして1年後、女将さんの生家の甘味喫茶が閉店するタイミングで場所を受け継ぎ、今の場所に移転した。「客なんて来ねえよって言われたけど、いざ開けてみたら人が押し寄せて。最初はチャーハンとか焼きそば、カレーライス、カツ丼とか色々やったけど一人じゃおいつかなくて、ラーメンだけにしたんだ」
子宝にも恵まれ、二人三脚でお店を切り盛りする日々が始まった。
その後、昭和60年代に入ると世はバブル景気へ。
「当時はすごかったよ。浅草橋は都内で5本の指に入るくらい賑わっていたんじゃないかな。よく覚えているのは昭和60年にあった中核派のゲリラ事件。当時、駅舎の壁は板張りで、朝、駅舎が全焼するのを目の前で見たよ」
通い続けるお客さんへの思い
狂乱のバブル景気で遊び仲間が次々と土地や不動産に手を出し、やがて泡となって弾けた時代、二人は脇目も見ずに堅実な商売を続けた。
「手を抜くことができないからね。30年すれば老後の蓄えができるからって。いま考えるとお母さんがいてくれたら続けられたよ」
傍らで見守り、支え続けた女将さん、そしてずっと通い続けてくれるお客さんがいたからこそ半世紀以上続いたと話す。
「当時高校生だった子が大人になって子どもを連れてきたり、40年通う人、4代続けて食べに来てくれる家族とか、今でも続くお客さんとのつながりは商売冥利に尽きるよ」
「お客さんが美味しいって言ってくれたらそれでいい」
「ほんとそう。むかし通ってくれていて街を出た人が仕事で10年振りに浅草橋に来て、『まだあったんだ』って。そんな方がいっぱいいて、色んなことを教わった。うちはお客さんが美味しいって言ってくれたらそれでいいんです」と女将さん。
55年続ける間に、大病を患ったこともあった。
夜の営業をやめ、昼の数時間だけになった。
でも店はやめず、明日も陽が昇る前から仕込みを始める。
口には出さないが、店を続ける理由は通うお客さんへの、そして共に歩んできた街への恩返しなんじゃないだろうか。
一杯ずつ丁寧に仕立てるラーメンには、そんな二人のやさしさが宿っている。
浅草橋の、ここにしかない街の味が、未来に紡ぐ物語の登場人物になりたい。
そんなことを思いながら店をあとにした。
【店舗情報】
天竜
住所:東京都台東区浅草橋1-23-3
電話:非公開
営業:11:00〜14:30
定休日:木・日曜、年末年始(そのほか、都合により休む場合があります)
取材・文/藤谷 良介
写真/伊勢 新九朗