白雉二年(651年)創立と伝えられ、1370年の歴史をもった由緒ある鳥越神社。
この度ついに、本サイト開設時からの念願であった鳥越神社の宮司さんに直接お話をうかがうことができました。
鳥越を中心に浅草橋エリアを古くから見守り、支え続けてきた町の地盤のような存在であり、年に一度の例大祭は町の人々の精神そのもの。
そんな鳥越神社で、二十代目の宮司を務められる鏑木啓麿(かぶらきひろまろ)さんから見た「浅草橋」。そして、鳥越神社が担う地域への役割とは……? その想いを前後編に分けてご紹介いたします。
鳥越神社に関する基本的な歴史や情報について書かれた記事はこちら↓
「千貫神輿」渡御のロックさでも有名!鳥越祭の鳥越神社で例大祭御朱印を頂いてきた。地域に根差した鳥越神社
かつてこの一帯は、鳥越大明神のある「鳥越の岡」という広大な山でしたが、江戸幕府の政策により埋立地用の土砂として切り崩されることになりました。
実はその際に、大明神も他の場所へ遷される予定だったのですが、創祀の起源でもある日本武尊(やまとたけるのみこと)由縁の土地を離れるわけにはいかないと、二代目の宮司が幕府に懇願したことで、なんとかこの地に留まることができたそうです。
もし、二代目の尽力がなければ、現在の鳥越神社がなかったと思うと、普段何気なくお参りしていることにもありがたみを感じられますね。
境内には、巨大な楠をはじめ、様々な種類の木々が生い茂っており、緑が参拝者の心に安らぎを与えてくれます。
手水舎は、2021年末に改修工事がされ、柄杓を使わずに清めることができるようになりました。
その隣には、タッチパネル式の電子案内板が立っており、神社の情報や参拝方法などをわかりやすく知ることができて大変便利です。
また、駅までの行き方を知りたい方などもよくおられるようで、そんな時に大きな近隣地図も喜ばれているそうです。
鳥越神社は、永年受け継がれてきた意義や景観を保ちながらも、時代の流れに伴い、より訪れる人々に寄り添った神社として変化しているようでした。
「千貫神輿」に秘められた町への想い
関東随一の重量を誇る「千貫神輿」で有名な鳥越祭。
鳥越神社周辺の人々は、毎年このお祭りに並々ならぬ心血を注いでいます。
鏑木宮司のお話によれば、お祭りで神輿を担ぐようになったのは江戸の後期になってから。
もともと浅草橋や鳥越、蔵前周辺は、職人の集まる力自慢な男たちの町で、「重たい神輿でなければ彼らも満足できなかったのではないか?」、とのこと。
また、神様を神社より連れ出し、「どんな家の前でも入っていって、普段お参りに来られない人でもお参りできるように」との想いが込められているため、下町の入り組んだ路地を練り歩くことができる、小回りの利いた短い担ぎ棒でなければなりません。
結果的に鳥越祭の神輿は、担ぎ手に負担がかかる分、その体力と気力が発揮されるものとなりました。
ひと口に「神輿」と言っても、そこには各町々の事情や願いが映し出されているんですね。
そんな「千貫神輿」は、関東大震災によって一度は燃えてしまいましたが、現在もなお、鳥越祭の象徴として存在し続けています。
鳥越祭から見えてくる浅草橋の気風
毎年6月9日に近い日曜日に催される鳥越祭に向けて、今年もすでに2月の段階から準備が始まったそうです。
鳥越神社を中心に神輿の進路などを計画し、そこから各町会や警察とのすり合わせを行なって、なんと3月には大まかな段取りが決まるのだとか。
実に1年間の3分の1近くをかけて準備するわけですから、どれだけ町の人々がお祭りに熱を注いでいるかがわかります。
今回、鏑木宮司に、鳥越や浅草橋とはどんな町であるか? という質問をしたところ、
「お祭りがあって、お店開いて『さあ、いらっしゃい!』っていうのが浅草。『お祭りだから!』って店を閉めてお祭り一生懸命やるのが鳥越。」
と、簡潔に言い表してくださいました。
なるほど。
商人の町である浅草とは対照的に、上述したように職人気質な人間が集まった町であり、鳥越祭に対して情熱とこだわりをもって参加している様子が、この一文で見事に表現されていますね。
今でこそいろいろな職業の人々が住まう町ですが、例年の熱狂ぶりを見れば、未だにこの精神は地域に染みついているのだと感じます。
そして、この伝統と精神が受け継がれていくうえでの支柱こそが、鳥越神社の存在であるに違いありません。
時代とともに変わりゆくこともありますが、それでも、
「なるべく変わらないようにやっていくのが神社の仕事だから。先代に教わったことを引き継いで、次に伝えらるように。」
と、鏑木宮司。
鳥越祭のもつ意義や魅力もまた、鳥越神社を通じて変わらぬまま後世の町に、人に、受け継がれていくことでしょう。
熱気あふれる祭りの復活を願って……
既知のとおり、鳥越祭は2020年、2021年とコロナ禍の影響を受けて大々的な開催は中止してしまいました。
今年もまだ最終的にどうなるかは見えてこない状況ではありますが、威勢よくパワフルなあの光景が戻ってきてくれることを心より願っております。
次回は、そんな苦境の時代にある今、鏑木宮司が地域の人々や鳥越祭に向けた想いを、ご本人についてのお話を交えつつご紹介してまいります。・
文:小林
撮影:伊勢 新九朗
[地図]〒111-0054 東京都台東区鳥越2-4-1