[後編]160年余、守り続ける江戸前の佃煮。[鮒佐]5代目・大野佐吉さんインタビュー

現在、和食に欠かせない料理として広く親しまれている佃煮は、江戸時代に誕生した。

文久2年(1862年)に創業した『鮒佐』は、そのルーツと言われ、現在も江戸前の本物の味を継承し続けている。

前編では、5代目当主・大野佐吉さんに鮒佐の味のこだわりをうかがった。

[前編]160年余、守り続ける江戸前の佃煮。[鮒佐]5代目・大野佐吉さんインタビュー

後編では、その半生と職人としての矜持、そして街への思いを聞いた。

見て、実践して研ぎ澄ませた感性が鮒佐の味を創る

五代目は、東京オリンピックが開催された昭和39年に、三人兄弟の末っ子としてこの地で生を受けた。

「このあたりの風景は今とは全然違いましたね。都電が走っていて日本家屋が多かった。年末になると雛人形、雛祭りが終わると五月人形、その後は花火だったり、人形や装飾の問屋が先取りして季節を届けてくれました」

かつて公園のあった須賀神社で走り回り、素人お断りのプラモデルの問屋に通
いつめた少年時代、街全体が遊び場だった。その頃から祖父である三代目と先代の背中を見て育ち、幼稚園から跡取りを意識し、小学校の頃には食材の下ごしらえを手伝っていたという。

幼少期の頃の五代目。この頃の江戸通りにはガードレールがなかった。写真提供:鮒佐

そして大学を卒業した後、すぐに鮒佐で修行を始めた。
「一般的には外で何年か修行するのが定石だと思いますが、いらない癖より良い癖をつけろ、というのが三代目の考えでした」

昭和40年代の店舗の前で。「店の上に住んでいて、作業場から出入りしていたので、祖父や親の背中が記憶に残っています」写真提供:鮒佐

佃煮の技術は、なにより「実践」で鍛えたと話す。
「先代は寡黙でしたが、聞けば教えてくれました。ただ、言われたことは耳から抜けていく。自分の目で見て納得して、実践しながら答えを出したことは忘れない。『門前の小僧、習わぬ経を読む』と同じです」

生前の四代目。作業場の景色は今と変わらない。写真提供:鮒佐

日々、先代の傍らにつき、感覚を研ぎすませること十余年。
身体を患った先代が「俺はもう仕事場に降りないよ」と言った翌日から、鮒佐の味は五代目の味になった。

「一度死に、跡目として生まれ変わる」襲名への思い

正式に五代目となったのは、今から12年前。鮒佐では代々、初代の名前「佐吉」を受け継ぐが、それは形式ではなく戸籍上から変える。

「家庭裁判所に然るべき理由をつけて申請し、許可が降りると戸籍課に行って、それまで自分の名前だった真敬にバツを付ける。生まれついた人格が死んで、佐吉として生まれ変わるんです」

「背負っているものは大きいですが、日々いい佃煮ができている時に勝る喜びはありません」

江戸時代から長きに渡って続く家業を受け継ぐ重圧はなかったのだろうか。
「言葉で仕事を継ぐ、というのは簡単ですが、それ以上に鮒佐の精神であり哲学、歴史、そういったものすべてが直接からだにくる。五感に感じてきましたね」

「“量より質”を守る。今日があるのはご先祖様たちのおかげですから」

「江戸前の味を未来に紡ぐ」という使命

五代目が襲名した時、先代に言われた言葉で心に刻まれているのは“浅草橋の味”という意識だと続ける。

「継ぐにあたって『街の歴史もちゃんと継げ』と言われました。かつて蔵前通りと呼ばれたここには浅草見附があって、浅草寺の観音様までの参道が続いていた江戸市中。鮒佐という店があるのはその浅草橋なんだよということ。だから私の使命は、江戸前の、鮒佐の味を未来に紡いでいくことです」

五代目をサポートする未来の六代目・真徳さん。

一子相伝で、当主が毎日、来る日も来る日も竈の前に立るからこそ「この江戸の味を楽しんでください」と胸を張って言える。
その真っ当な継承の精神は、既に次世代に紡がれている。

現在、五代目をサポートしているのは、長男の真徳(まさのり)さん。
青春時代は吹奏楽に勤しみ、大学4年間はバックパッカーとして、5大陸世界61カ国を旅していたという。その後、帰国してから本格的に修行に入った。幼稚園の卒業アルバムに「将来の夢は佃煮屋」と書いていたという。

真徳さんの中学高校の先輩には、同じ浅草橋の老舗『人形の久月』の横山さんがいる。

取材中、竈の前に立ち、時折扉を開けて薪の状態を確認し、タレを足す真徳さんを五代目は静かに見守っている。

「私も押しつけることはしません。彼が見て、触れた記憶と感覚の答えが、六代目の味になりますから」

「“商いの街”浅草橋を再び活性化させたい」

最後に浅草橋ならではの魅力を聞いた。

「まず、どこに行くにも1本でいけるので便が良い。そして、古くから住んでいる人、商いをしている人、みんなあたたかくて人情がある。かつての東京市浅草区ですから、本当の下町の風情が残っているんです。同じエリアなのに鳥越神社、須賀神社、八幡神社でお祭りのスタイルがまったく違うのも魅力的ですね」

戦前の大野稲荷神社で行われてた初午祭の演芸大会の様子。写真提供:鮒佐

ただ、変わりゆく街を見て、思いところもあると続ける。

「昔から浅草橋は商いの街なので、時代とともにマンションやホテルが林立していく様をみるのは寂しいですね。いま、『吉徳』の山田さんや『久月』の横山さん、『あさだ』の粕谷さん、『ベルモントホテル』の鈴木さんたちと何かできることはないか模索しています。今後は鮒佐の味を守りながら、浅草橋本来の形で街を活性化していきたいですね」

「江戸前の佃煮の深い味をぜひご賞味ください」

「鮒佐」の手仕事に迫ったドキュメント映像

当サイト「浅草橋を歩く。」には、YouTube版もあります。同じ取材のタイミングで、「鮒佐」の魅力を伝えるドキュメント映像も撮影しましたので、あわせてお楽しみいただけたら幸いです。

 

【店舗情報】鮒佐
住所:東京都台東区浅草橋2-1-9
営業:9:00〜17:00
定休日:日曜・祝日

公式ページ

文:藤谷 良介
写真:添田 康平