[後編]“一日生涯”で街を見守る、美味しい職員室。[ひさご]八っちゃんインタビュー

プロの音楽家やアーティストが認める同業者のことを“ミュージシャンズ・ミュージシャン”と呼ぶ。

浅草橋の高架下にある老舗立ち食い蕎麦屋『ひさご』は、まさに街の飲食店のそれだ。

毎日食べても飽きない味はいわずもがな、二代目店主・八っちゃんは界隈の商売人から圧倒的に慕われている。

前編ではその76年の生涯を紹介した。

[前編]“一日生涯”で街を見守る、美味しい職員室。[ひさご]八っちゃんインタビュー

後編では、知られざる蕎麦の秘密から「続く店」の秘訣、そして浅草橋への思いについてうかがった。

「みんなが美味しいと思えばそれでいい」

東京最古参の立ち食い蕎麦屋の一つ『ひさご』を先代から継いだご主人は、蕎麦を出来合いから自家製に変えた。店に入って誰もが目にとまる製麺機は、もう40年選手だという。その蕎麦には、他にはないこだわりが――。

「ないないない、製麺機はみんな言うけど、冗談ぬきでこだわりなんてなんもないって。蕎麦粉は立ち食い蕎麦屋にしちゃあ上等なモン使ってるけど、自家製にしたほうがロスが少なくて安く出せるから。だだそれだけ。自分ちで作れば安くあがる。商いの基本だよ」

年季の入った製麺機は今でも毎日稼働している。

あまりに開けっぴろげで拍子抜けした。

その蕎麦粉と割り粉を合わせ、毎日営業後に打ち一晩寝かせる。そこにも意図はなく、「ただみんなが美味しいと思って食ってくれたらいいんだよ」と笑う。

米類がないのも、同じ理由だという。

「だって無駄だろ? こんな狭いところで何個出るか分からないおにぎり握るより、目の前のコンビニで何十種類って売ってるから、食べたかったら買ってきなって。うちは蕎麦食ってもらえたらそれでいいんだから」

天ぷらの種類を絞っているので常に油がきれいだという。

おにぎりだけでなく、丼ぶりや店にない天ぷらをはじめ、のり弁やカップ麺を持ち込むツワモノもいるとか。なにかとルールが多い都市部の飲食店で、ここまで懐が深い店はそうそうないだろう。

老舗と新風を繋ぐ街の活性化への想い

その蕎麦と合わせる、キリっとした江戸前のつゆも、一般的な立ち食い蕎麦屋は出来合いのものが多いが、『ひさご』は出汁からきっちりひく。

「出汁ってのは風味が飛んじゃうから、毎朝4時半にさば節と宗田節をひいて作ってるよ。それに1~2カ月寝かせたカエシと合わせる。そこ、立ってる下に一斗缶が並べてあんだろ? そこに書いてる日付順に使って。カエシの醤油はヒゲタ。みんな作りたてが美味いっていうけど、俺に言わせりゃ寝かせないと醤油臭くて食えないよ」

カウンターの下に並ぶカエシの一斗缶。

毎朝4時半から出汁をひいて、6時半にオープンし、アイドルタイムも休まず女将さんと交代しながら12時間以上立つ。それを先代から引き継いで40余年もの間続け、定休日以外で休んだのは1日だけというから恐れ入る。

「別にすごくねぇよ。商売やっていたら当たり前。楽して儲けようなんて気がないから、苦労とも思わないよ。うちらがお客さんを選ぶんじゃなくて、お客さんがうちを選ぶだけだから」

八っちゃんは何をきいても包み隠さず話す。人懐っこい笑顔が魅力。

だから、オープン前の仕込み時間に来た客には、「裏の『文殊』行きなって」。
同業だろうが商売敵ではない、根っこにあるのは浅草橋への思いだろう。

「街の商売ってのは、みんながうまくいかないと盛り上がらないんだよ。昔ながらの店だけじゃなくて、そこに新しい人が来れば風向きが変わって、街が面白くなる。そういうもんなんだ」

浅草橋を見続けている市井の鉄人の言葉は、老舗と新鋭店が混在し、派手さはないが知る人ぞ知る存在として賑わうこの街の面白さを物語っている。

古き良き昭和の下町の人情味がここに

終始、気をてらわない八っちゃんから見て、「残る店」とはどういう店だろうか。

「人との付き合いだね。特に飲み屋だったら、店の人間につくから。美味しいのなんて当たり前の最低限だよ」

ちなみにこのTシャツは、浅草橋『HI-CONDITION』の一点物だとか。

それはこの店にいるだけでもわかる、飲み屋でもないのに。

「おうっ、久しぶり! 今日はうどん?」
「なに今日は残業かい。冷たいの?」

日が暮れる前から客足は途絶えず、ほとんどが顔見知りで「いつもの」を注文し、他愛もない世間話に花を咲かせる。時には一見客も訪れるが、面白いのは近隣の商売人がみんな通りがけに挨拶をすること。

軒先にはみんなの健康を願うメッセージが。

ご年配の人が蕎麦を注文せずにマスクを渡したら、「金なんて払わないよ(笑)」と冗談めかす。あとで聞いたところによると、「刃物やの番頭。そこの社長の奥さんが俺と同級生なんだよ」とのこと。

飴やアヒルの玩具などを店頭で無料配布。後ろの爪楊枝入れは街の仲間からの差し入れ。

「はい、おつかれ!」「おう、おやすみ。気をつけてな!」

帰り際の商売人に挨拶を返す様を見て、「街の職員室ですね」と言ったらこう返す。

「料理人組合ってのがいくつかあって、古い店はほとんど知ってるよ。二代目とか三代目とか新しく商売始める人も客として来るんだけどよ、多分上とか街の人から、挨拶しねぇとうるせえから、まず『ひさご』に行っとけって言われてるんじゃない(笑)」

ここには、東京で失われつつある、古き良き下町の人付き合いが残っていた。

「その日その日を楽しく、一生懸命仕事するだけ」

店に入っている週の5日は近所の店で昼食を取り、毎年柳橋の小さな神社の祭りにも参加する八っちゃんは、街の表から裏まで知り尽くした生き字引だ。

淀みない手際を見ているだけでも楽しい。

「昔は柳橋に粋なヤクザもいたんだよ。清水のチュウさんっていってな。昔気質の親分肌で、普通そういう人たちはおしぼりとか花とか買ってくれって言うじゃない? それが一切ないから、街の人から本当に慕われていたね」

そういった立場に関係なく、心が通い合う人情味が浅草橋の魅力だと話す。

最後に、店を受け継いでここまで続くと思っていたか聞いてみた。

「そんなこと考えたことないよ。俺のモットーは“一日生涯”。明日死ぬかも知れないから、その日その日を楽しく、一生懸命仕事する。それだけを続けていたら、今日まで続いただけ」

ビールを片手に八ちゃんと話しに来て〆に蕎麦を食べる常連さんも少なくないとか。

その言葉に感心していると、笑いながらお叱りを受けた。

「お前らさ、長いよ。もう帰りなっ。またどっか取材したけりゃ、どこでも俺の名前出していいからさ。でも、悪いことには使うんじゃねえぞ」

気がつけば1時間強。こいつは無粋なことをした。

御代を置いて、サッとすすり、小粋に店をあとにする――。

そんな江戸蕎麦の作法を忘れるほど、面白かったんだから仕様がない。

また怒られに暖簾をくぐるか。

『ひさご』は浅草橋の人間交差点だ。

【店舗情報】
ひさご

住所:東京都台東区浅草橋1-17-12
電話:03-3581-1350
営業:6:30~18:30
定休日:土・日・祝日

文:藤谷 良介
写真:伊勢 新九朗