[前編]昨日より今日、今日より明日、いいものを。「季節の佃煮 小松屋」四代目・秋元治さんインタビュー

浅草橋駅東口を出て両国方面に歩くと、隅田川には連なるように屋形船や乗り合い船が浮かぶ船だまりがある。

この墨田川と神田川の合流地点は「柳橋」と呼ばれ、江戸中期の頃から昭和初期まで、東京を代表する花街として知られていた。

現在も、当時から商いを続ける船宿が数軒あり、春から夏にかけて花見や涼を風流に楽しむ屋形船が人気を博している。

その中でも『季節の佃煮 柳ばし 小松屋』は最古参であり、伝統の江戸前佃煮を伝え続けている老舗だ。

昭和の面影を感じる趣深い店には、平日でも全国からファンが訪れる。

今回、初夏の川風にたなびく柳の木の下で、四代目として暖簾を守る秋元治さんに、柳橋の歴史とこだわり続ける唯一無二の味についてうかがった。

各界の名士に愛された江戸を代表する花街・柳橋の歴史

「春の夜や 女見返る 柳橋」

明治を代表する俳聖、正岡子規の句で知られる柳橋は、江戸中期の頃から花街として知られ、橋のほとりには船宿や料亭、見世物小屋等が軒を連ね、芸妓で賑わっていた。

江戸時代の柳橋。最盛期の昭和には料亭、待合が60軒以上、芸妓は300人以上いたとされる。(広重画帖『江戸高名会亭尽』画像:国立国会図書館)

神田川と大川(隅田川)の合流地点という交通の便にも恵まれ、風光明媚な街として栄え、江戸中の商人や文化人の奥座敷となっていた。

明治維新後は、振興の新橋とともに「柳新二橋」と称され、東京二十八花街を代表する花街として人気を博し、料亭『亀清楼』に通っていた伊藤博文元首相をはじめ、政治家や歌舞伎役者、文士といった各界の一流の客に愛されていたと伝わる。

一艘の船だけで創業「論より行動」の商いで根を張る

そんな格式ある色里で『小松屋』が商いを始めたのは昭和2年。

武家にルーツを持ち、廃刀令によって刀から船の櫓に持ち変えた秋元藤左衛門が、明治14年に小松川で船宿を創業し、その後、二代目の秋元房吉さんが船を一艘持って柳橋に移ってきたのだ。

「柳橋には既に船宿が沢山あり、新参者のうちには仕事がない。二代目の秋元房吉は、若い衆とともに料亭の下足番や大雪の朝の雪かき、桟橋の灰汁洗い等の下働きをかってでて、徐々に根を張っていったそうです」

二代目の秋元房吉氏(前列左)と当時の船頭たち(画像提供:小松屋)

まさに「論より実践行動」で名を売っていくうちに、料亭の女将や番頭に気に入られ注文が増えていったという。その後、戦前までは投網涼や涼み船を出す船宿を専業としていたが、柳橋の料亭に訪れる客から「お土産はないか?」という声が多かった。

そこで小松屋は、柳橋らしいお土産として、小鮒を頭ごと背開きにして串に刺しタレをつけて焼く「鮒のすずめ焼き」や「穴子の網代焼き」を作り、卸し始めた。

創業当時の小松屋。船宿は神田川を渡った対岸で今も親族が営んでいる(画像提供:小松屋)

「当時のお土産は杉の木箱に入れて、掛け紙をかけたものが主流でね。値段によってランクがあって、料亭から『お客さんが何時に帰るから1000円の5個ね』なんて注文を受けて持って行ったり。だからうちは夜10時までやっていました」

「私が子ども頃には、松本清張さんや池波正太郎さんが、料亭で雑誌の対談で来た帰りによく寄っていただいてました。派手にせず、記者に家族へのお土産としてそっと渡していたのが粋でしたね」

そのお土産が現在に繋がる佃煮屋の始まりだった。

「なによりも素材ありき」旬の旨味を引き出す哲学とは

一般的な佃煮は、甘いタレの味が前面に出た味が主流であり、個人店ではよく「秘伝のタレ」が継ぎ足しで使われることが多いが、小松屋のそれは異なる。

「古くから一流のお客様向けのお土産なので、素材は冷凍ものや輸入ものを使わず、その時期に獲れた旬の上質なものだけで作っています。なので、タレで誤魔化す必要がないんです」

夏の名物は「一と口あなご」と「手むきあさり」。季節限定商品以外にも、通年で極上の日高産を使用した太切りで柔らかい「昆布佃煮」やふっくら炊いた「生あみ」。爽やかな味わいの「きゃら蕗」など7種類が揃う。

味付けは、無添加のものを特別にできたてで取り寄せる醤油と本みりん、上白糖のみ。あくまで主役は素材であり、夏は江戸前穴子や浅蜊、冬は大粒の牡蠣や香り高い生海苔など、それぞれ一番美味しい時期の、素材本来の旨味を引き出している。

その素材は、豊洲の河岸の信頼できる仲卸から仕入れているが、長年の付き合いがあるからこそ上質なものが入るという。

「昨日と今日で味が違う、それが本来の“手作り”なんです」と四代目。今でも常に美味しく煮る方法を研究する姿勢は、まさに職人だ。

「毎日、何を何kg仕入れると決めているわけじゃなく、『今日、小松屋さん向けのいい穴子なかったよ』って言われたら『分かった』って阿吽の呼吸ができている。いいものだけしか仕入れないんです」

仕入れも、あくまで素材ありき。

その徹底したこだわりが、長きにわたって食通を虜にする味を生み出している。

手作業にこだわる江戸前佃煮で伝統の食文化を後世に紡ぐ

「いま穴子を仕込んでいるので見ていきますか?」

カウンターに併設されている2坪ほどの板場に案内していただいた。

ここですべての佃煮を仕込んでいるという。

鍋で煮ていたのは、見るからに立派な江戸前穴子。

小松屋では穴子は2回、火にかける。

大ぶりなだけでなく、大きさがすべて揃っているこのクラスの穴子は、銀座の一流の寿司屋や天ぷら屋に卸される最高級のものだという。

「1回だけだと、味の濃さにムラが出る。一度煮て常温まで冷まし、上下を変えてもう一度煮て、タレがなくなり穴子の旨味が凝縮するまで煮詰めるんです」

半日かけて煮上がったら一口大に切り、一晩寝かす。
一見すると単純な作業だが、その日の素材の状態や気温によって配合や煮る時間を見極め、毎日変えている。

「『昨日より今日、今日より明日。日々、さらに美味しく』というのが親父の教えでしたから」

調理から袋詰めまですべて一つひとつ手作業で行う。

確かな技術に裏打ちされた職人技で作られる「甘くない」江戸前穴子は、昔ながらのエゾマツ製の経木の曲げわっぱに入れて店頭に並ぶが、よく見ると真空パックもせず、冷蔵ケースにも入れていないことに気付く。

「冷蔵庫がない時代に、先人の知恵で生み出された佃煮の本来の役割は保存食。だからうちは夏でも常温で3週間持つように時間をかけてじっくり煮込んでいる。その伝統的な食文化を後世に紡いでいくことが使命だと思っています」

「穴子一切れでご飯が一膳食べられる、しっかりした濃い味なので、少量ずつ召し上がってください」と対面販売で丁寧に説明する。

(後編へ続く)

取材・文:藤谷良介
撮影:伊勢新九朗