浅草橋で誰もが〝上質〟と出会える懐深いワインバー「L’Ivresse(リヴレス)」

幼いころ、人はいつかは大人になるものだと思っていた。しかし、現実にはそうではない。人がひとりでに老いることはあっても、大人になることはない。大人になるというのは、大人と呼ばれるにふさわしい相応の経験を積むことである。

「バー」に通うという行為は、非常に〝大人〟な行為といっていい。大人が酒を飲みながらじっくり話をするなら、やはりバーだ。大人の男がそれなりの相手を伴って行く場所が、ファミレスや居酒屋しかないのでは、人間としての底の浅さを露呈してしまうというものだ。

……と、ここで聡明な読者はお気づきになられたはずだ。「こんな薄っぺらな垂訓を恥ずかしげもなく繰り広げているコイツは、少なくとも大人ではない」と。そのとおり。わたしは恥ずかしながら、三十路を折り返したというのに、バーなどには片手で足りるほどしか訪れたことがない。人生で最も通ったバーといえば、サイゼリヤのドリンク〝バー〟、それがわたし、こどもおじさん(36)なのだ! 辛味チキン大好き!

そんな大人未満の紳士淑女候補生が、これからバー通いを始めるならば、浅草橋の「L’Ivresse(リヴレス)」ほど最適な店はないだろう。

経験豊かなソムリエがワイン選びをサポート

落とし気味の照明がムーディな雰囲気を生み出すリヴレスのカウンター席。ゲストが渋いおじさんではなかったことが悔やまれる。

JR総武線・浅草橋駅の東口から徒歩2分。銀杏丘八幡神社そばの商業ビル内に「リヴレス」はある。料理人出身のソムリエ・吉川新吾さんが、ひとりで営むこじんまりとしたワインバーだ。

修行期間のうち、最も長い10年を東銀座の『ビストロ・ヴィヴィエンヌ』で過ごしたという吉川さんのスタイルは、同店の影響が色濃く感じられる。『ヴィヴィエンヌ』もソムリエールのオーナーにより取り揃えられたワインとカジュアルながらも確かな技術を感じる料理が好評の名店だが、「リヴレス」のスタイルもそれに通ずるものがある。店名の「リヴレス」(フランス語で「ほろ酔い」)というネーミングからもイメージされるとおり、この店は上質でありながら気取った印象はない。

右も左もわからないので、カウンターに着くなりおまかせでワインを注文することに。こちらが提示できるのは「白のさっぱりとしたワイン」という大まかな希望しかないが、吉川さんはソムリエとして豊富な知識と経験で、ゲストに合わせた最初の一杯を選び出していく。

ドメーヌ『ヴァンサン・リカール』は、農薬や化学肥料を使わない自然環境に配慮したぶどう栽培を実践しており、自然派からの評価も高い。

こちらが本日の最初の一杯『2020 Le Petiot(ル・プチオ)』。シェール川沿いの丘陵地にある5代続くドメーヌ(ぶどう栽培、醸造、瓶詰めまでを一括して行う生産者)「ヴァンサン・リカール」により生み出されたワインだ。「ソーヴィニヨン・ブランという品種を使ったワインで、レモンのような柑橘系の爽やかな香りが特徴ですね」

吉川さんの解説を聞きながら、ひと口含むとその軽やかな口当たりが自然と舌になじんでいく。自分ではまったくわからなかったが、たしかに、最初の一杯はこういうワインを求めていたような気がする。この出会いは、ワインに精通したソムリエの仲介なくしてはあり得なかっただろう。

豚の頭のチーズ「フロマージュ・ド・テット」

『フロマージュ・ド・テット』(¥1,000)。脂やゼラチン質がマーブルのような模様を描くこの美しい料理が、「豚の頭」から作られたとはとても思えない。

気分が乗ってきたところで、料理のオーダーも。せっかくなので吉川さんにワインとの相性を見ていただきながら、料理を相談する。ワイン知識がなくとも、気軽に最適な料理とワインの組み合わせを楽しめるのは、非常に贅沢な体験だ。

バーというと、料理は軽食程度しか用意されていないこともあるが、吉川さんがもともと料理人出身ということもあり、「リヴレス」には豊富な食事も用意されている。メニューは、ビストロで人気の郷土料理が中心だ。

「やはりワインがメインですし、ひとりでやっているというのもあって、小難しい料理よりはフランスの定番メニューという感じでやっています」

吉川さんは控えめにそう語るが、提供される料理は〝カジュアルな郷土料理〟という言葉からはかけ離れた、本格的な逸品ばかりだ。その味はもちろん、盛りつけといった細部に至るまで細やかに気が配られており、十分に特別な夜を演出してくれる。

こちらは、『フロマージュ・ド・テット』。フランス語で「頭のチーズ」を意味するこの料理は、その名からも連想されるとおり豚の頭を使用した〝煮こごり〟だ。

「フランス全土で食べられていますが、もともとはリヨンという南部にある町の郷土料理です。耳やタン、ほほ肉といった部位ごとに解体して煮込んでいます。昔はお肉のいい部位は貴族向けの高級品なので、庶民は食べられなかったんです。リヨンには、ほかにも豚の内臓を使った料理なども多いんですよ」

自家製ソースをたっぷりとのせていただくのが、オススメの食べ方。ソースは粒の大きさが異なる2種類のマスタードをベースに、エシャロット、ケッパー、パセリを混ぜ合わせたもので、脂の多い料理にさわやかなアクセントを添えてくれる。ひと皿から多層的に味の世界が広がっていくオーセンティックな食体験ができる。

最初の1杯と2杯目の違い……?(震え)

ポール・ジャングランジェの所有する2つのグラン・クリュ(特級畑)は、地元フランスではビッグネームの生産者にも並ぶ評価を受けている注目のドメーヌらしい。

一品目を食べ終えるころにはワインも進んだので、次の一杯を選んでいただくことに。

こちらは、『PAUL GINGLINGER ALSACE RIESLING(ポール・ジャングランジェ アルザス・リースリング)』。「フランスの最も美しい村」のひとつに数えられるアルザス地方のエギスハイムで、400都市以上の歴史を誇るドメーヌ「ポール・ジャングランジェ」により生み出された白ワインだ。リンゴを思わせる甘く爽やかな香りが特徴で、すっきりとしていて飲みやすい。

見た目だけでも、こんなに違う。違いのわからない男でも、こうして並べてみるとさすがにわかる。

しかし、これだけでは前の一杯との違いが今ひとつわからないのが、素人というもの。そのことを正直に打ち明けると、吉川さんはおだやかな笑顔とともに2杯を並べて提供してくださった。並べてみると一目瞭然。色からしてまったく別物だ。「ワインを飲む人が、よくグラスを回していますよね。そうすることで、アルコールが揮発するときに香りの成分も一緒に出ていくので、香りがわかりやすくなるんです」

言われたとおりにグラスを回してみると、たしかに香りがより引き立ち、違いがより一層わかりやすくなる。それぞれ交互に口に含んでみると、なぜ、両者の区別がつかないのかと首をかしげるほどに味がまったく違う。ワインの世界の繊細さや奥深さを感じるとともに、この違いを正確に見抜くことのできるソムリエの鋭敏な感覚にあらためて驚かされる。

『エスカルゴのブルゴーニュ風』(¥1,300)。たっぷりとパンにのせて食べるのがおいしい。

『アルザス・リースリング』と一緒にいただく料理は、『エスカルゴのブルゴーニュ風』。エスカルゴをブルギニヨンバター(バターにパセリ、ニンニクをあわせたもの。エスカルゴバターとも呼ばれる)と共に焼き上げる伝統料理だ。弾力のあるエスカルゴの食感に、バターのコクとニンニクやパセリの香りが絡み合い、見た目以上に食べごたえを感じる。

そのまま食べても十分おいしいが、付け合わせの薄く切ったバゲットにのせて食べると、ここにサクッとした食感がプラスされて印象が大きく変わる。

サクサク食感の『キッシュ・ロレーヌ』に衝撃

このままデッサンしたくなるような美しい『キッシュ・ロレーヌ』(¥800)。あれ、ここってもしかしてフランスなんじゃないの……?

続いては、『キッシュ・ロレーヌ』。フランス北東部のアルザス=ロレーヌ地方の特産品であるベーコンやハムを用いているのが特徴で、キッシュのなかでは最も一般的に知られている代表的なメニューだ。

キッシュは日本でも比較的馴染み深い料理で、カフェなどにも普通に置かれているので食べたことのある人も多いだろう。しかし、こちらのものは一般的なカフェで出される普通のキッシュとはまるで別物だ。キッシュの外側を構成するパイ生地(パートブリゼ)のサクサクとした食感といい、濃厚ながらもくどさのない風味といい完成度がまるで異なる。カフェなどでしかキッシュを食べたことがないわたしは、「今までキッシュだと思っていたものは何だったのか……」とカルチャーショックを受けてしまった。

やわらかな『ひな鳥の丸焼き』がとまらない……

『ひな鳥の丸焼き』(¥2,400)。この焼き色とツヤっとした照りの美しさだけでも伝わる〝おいしさ〟。吉川さんの確かな調理技術を感じる。

そして、いよいよ今宵のメインディッシュ、『ひな鳥の丸焼き』。フランス産(もしくはスペイン産)のひな鳥をハーブとともにオーブンで焼き上げたひと皿。今回は、鳥インフルエンザの影響でひな鳥の輸入がストップしている関係で、流通が続いているアメリカ産のひな鳥を代用したもので作っていただいた。

「食べづらかったら、手で食べてくださいね。フランス人も手で食べています」

吉川さんに切り分けていただいたひな鳥を、お言葉に甘えて手づかみで食べることに。丁寧な加熱によりやわらかさがキープされたひな鳥は、噛めばたちまちほどけてそのうま味とハーブの香りを口内に広げていく。皮のパリパリとした食感も小気味よく、どんどん手が伸びる。

食べる際はこんな風に切り分けていただけるので安心。ひな鳥とはいえ量はしっかりあるので、2人で食べてちょうどいい。

ちなみに、つけ合わせのじゃがいもは、フランス・ドフィネ地方の郷土料理である「ドフィノワ(じゃがいものグラタン)」。牛乳と生クリームで作ったホワイトソースは、食材となるじゃがいもから滲み出るデンプン質を利用してつくったもの。ホクホクとしたじゃがいもの食感といいつけ合わせとは思えないほど本格的に感じるグラタンだが、基本的には鍋ひとつで作れるお手軽な家庭料理だという。

「ドフィネの人たちは耐熱皿に食材と調味料を入れて、そのままオーブンで焼いてしまうみたいです(笑)。これはさすがにお店で出すものなので味のブレがないように、鍋で味を整えながらやっていますけどね」

飲み比べのために出していただいた分も含め、3杯の白ワインを飲み終えたところで、気分はほどよく高揚。

まさに、「リヴレス(ほろ酔い)」だ。

酔いが回れば気も大きくなり、おいしい料理とそれにマッチしたワインが次々に出てくる空間を際限なく楽しみたい気分になるが、その気持をグッとおさえてお会計をすることに。「もう少し」と思うくらいで終わらせるのが、こういう上質な空間に最適な楽しみ方ではないか……という気がしたからだ。おいしいものはお腹パンパンまで食べたい小5脳のわたしが、こんなに粋な判断ができるようになるとは……。いやはや、上質な経験は本当に人間を大人にさせてくれるらしい。

後日、編集長がランチタイムの撮影にもうかがいました。昼の店内の雰囲気はこんな感じ。

店舗情報

「L’Ivresse(リヴレス)」
住所:〒111-0053 東京都台東区浅草橋1丁目31-4 大原ビル2F-B
営業時間:17:00~23:30
※コロナ禍の影響で営業時間に変動あり
定休日:不定休
お問い合わせ:03-5846-9319

文:山口大樹
撮影:伊勢 新九朗