【HUMANS OF ASAKUSABASHI】 映画のような人生を歩む男、 浅草橋でブルースを奏でる! モトクニ 後編

浅草橋でロックな少年時代を送ってきたモトクニが、ついにロックの本場・ロンドンに旅立つ!

そこで待ち受けていた試練と栄光の日々。

そして、世界を知った男だから語れる「浅草橋のスゴさ」とは?

【HUMANS OF ASAKUSABASHI】映画のような人生を歩む男、 浅草橋でブルースを奏でる!モトクニ 前編

モトクニ、ついにロンドンの地に降り立つ!

2003年6月。ヒースロー空港に降り立ったモトクニ。観光ビザで「とりあえず」来てしまった。革ジャンに長髪にヒゲのアジア人。さっそく入国審査で不法就労を疑われる。

「すでに俺、英語がある程度話せたわけよ。高校時代はアメリカやオーストラリアにホームステイしたり、ナイトライダーとか英語のドラマや映画を観まくって、話せるようになっていた。ただしアメリカ英語だから、イギリスだとすげえ鼻につく。俺はそんなつもりないんだけどさ、入国目的を聞かれたら「観光っす」、滞在期間を聞かれたら「決めてねっす」みたいに、ナメた口調に相手には聞こえるわけよ。話せてしまうぶん怪しまれて、6時間は足止め食らったな」

ロンドン時代に日本から来た弟と撮った一枚。無精髭がモトクニ

「ナイトライダー」のDVDボックス。80年代のアメリカの特撮テレビドラマ

結局、トラベラーズチェックを確認してもらい、なんとか入国できた。

すでに日は暮れかけている。「とりあえず来た」だけあって、もちろんホテルなど予約していない。観光インフォメーションでホテルがないか尋ねる。ここでも不審がられる。

「とりあえず、ロックの名所は知っていた。だからハイドパークにホステルがあると聞いて、『絶対そこ!』と決めた。ハイドパーク知らない? 69年にローリングストーンズが無料ライブをやったところ。日本でいうと、日比谷公園みたいなところかな」

ハイドパークに向かう地下鉄に乗ったつもりが、降り立った街はインド人街。逆方向に乗ってしまった。ようやくホステルに着いたとき、深夜になっていた。とにもかくにも、憧れのロンドンにモトクニはたどり着いたのだった。

モトクニ、ブルースで友達の輪を広げまくる

「翌朝、ホステルの男に叩き起こされて、追い出されちまった。でも、運よく近くのホステルの予約がとれてね。チェックインまで時間があったから、とりあえずレセプションでギターを弾いていた。ストーンズをね。
すると、白髪のおじさんが話しかけてきた。その人もギターを持っていたから、『ジャムったろか?』みたいなこと俺が言って、その場でプレイが始まった。あとで知ったんだけど、そのミックというおじさんは、バスキングっていう、ストリートミュージシャンのプロだったんだよね」

ストーンズを知らないイギリス人なんていないから」とモトクニ

ミックはそのホステルに住んでおり、モトクニの初めての友達になった。ミックは生粋の「ロンドンっ子」で、コックニーと呼ばれる「ロンドン弁」を話す。地球の反対側で、江戸弁とロンドン弁がまさかの遭遇を果たしたわけである。モトクニはミックとつながったことで、日本人には珍しい「コックニー」の話し手になっていく。

ホステルの部屋は、8畳に5人が暮らす劣悪な環境だった。モトクニはここに2年暮らすことになる。しかし、苦ではなかった。大好きなロンドンに居られることが、ロンドンでギターを弾けることが、ただただ嬉しかった。

「ミックとジャムっていると、どんどん人が集まってきた。ホステルはほとんど外国人が泊まっている。だからスペイン人やドイツ人など、ヨーロッパの友達がたくさんできた。演奏するたびに、友達がどんどん増えていったね」

そしてモトクニは、できた友達の母国の家を次々と訪ねていった。

友達の家族は、「初めてナマの日本人に会った」と歓迎してくれる人ばかり。

こうしてモトクニは、文字通りギター一本で、ヨーロッパ中に友人を増やしていったのである。

モトクニの辞書に、人種という名の壁はなかった

ロンドンのジャムセッションで道場破り!

ロンドンに戻ったモトクニは、友人の紹介でジャムセッションに参戦する。
地元のロンドンっ子のブルース好きが集まるところだ。

アジア人が来るなど場違いもいいところ。ホストはイアン・シーガルというジェフ・ベックとも親交のある男だった。モトクニはイアンの元に直談判に行く。

写真は、AceCafeを再興した男であるマーク・ウィルスモアと

「このイアンが、超怖い。スト2のガイルみたいで(笑)。殺し屋みたいで。イアンに『歌いたい』と話したら、眉間にシワを寄せて、『歌いたいだと?』みたいに凄むわけさ。東洋の猿がブルースを歌うなど笑止千万、ってところだろうね。だけど、どうにか頼み込んで、歌わせてもらうことになった」

「イアンはまじ怖かった」と、当時を思い出して

ステージは完全アウェー。好奇の目でモトクニを見つめる聴衆たち。

怖いもの知らずのモトクニだったが、このとき初めて武者震いした。

「一発ジャーンとかまして始めたんだけど、歌詞がぶっ飛んだ。ぜんぜん思い出せない。仕方がないから、始めの12小節はイントロに変えた。すると、1つ目の単語を思い出した。そうしたら、一気に歌詞が出てきた。こうなったら俺のもんだよね。若い女の子もたくさんいて、胸の谷間を眺めながら演奏したよ(笑)」

ロンドンのステージに立つモトクニ。夢を叶えた

モトクニは高校時代と同じく、ファーストステージで一気に観客を大興奮させた。イアンにも認められ、次々とジャムセッションに参加。「コニチワ」などと野次がとんでも、「シャット・ザ・ファックアップ!(黙りやがれ)」と怒鳴れば、その場はモトクニの独壇場になった。モトクニは強かった。次々と仲間が増えた。ウェールズ出身のボーカル、ブラジル出身のギター、イギリス人のドラムとベース、フランス育ちのキーボードとともに多国籍バンドを組み、ついにはUKツアーまで決行することになる。

モトクニ、浅草橋に戻る

観光ビザが切れると、語学学校に入学するふりをして学生ビザをゲット。ロンドンに滞在し続けた。日本料理店でキッチンに入りながら、バンド活動を続けた。

クリスマスには彼女が日本からやってきてくれた。チャイナタウンで焼うどんを食べ、その足で自分のクリスマスライブに向かった。ライブはこなしたものの、翌朝ノロウイルスにやられ、せっかくのロンドンデートが台無しになってしまった。そんな思い出もある。

充実した毎日を送っていたモトクニに転機が訪れたのは、ロンドンの同時多発テロだった。徹夜でレコーディングをした朝、モトクニが乗った地下鉄の2つあとの地下鉄でテロが起こった。地下鉄とダブルデッカーバスで起きたテロでは、56名の命が失われた(実行犯4人も含む)。これを受けてイギリス政府は、永住権のない外国人はなるべく早く帰国するよう要請した。

「テロがきっかけで、浅草橋に帰ることになるとは想像もしてなかったよ。」

帰国したモトクニは、12人編成のフルバンドを作って活動したり、FMラジオのパーソナリティもこなした。ロンドンの日本料理屋で働いた経験を生かして、両国のアジアンカフェでも働いた。20代をロンドンに捧げたモトクニも、30歳になろうとしていた。

モトクニ、通訳としての活動を開始する

モトクニが通訳・翻訳の仕事を本格的に始めたのは、ロンドン時代の人脈によるところが大きい。現在の相棒のフィリックスも、そのなかの一人だ。

きっかけは東日本大震災。「福島を取材したい」というフィリックスをモトクニがアテンドし、それ以降、日本の情報をフィリックスとともにヨーロッパに伝えるようになった。

モトクニは、現在の自分について、謙遜しながらこう話す。

「職業がミュージシャンと言えるのは、音楽だけで生きているヤツ。俺はそうじゃないから、ミュージシャンとは言えないね。ただ、ギターやブルースは、自分の体の一部みたいなもの。お金になろうがなるまいが、毎日の歯磨きみたいに、自然と自分のなかに根づいているもの。だから死ぬまでギターを弾いて、死ぬまで歌っていると思う」

ブルースハープの音色が浅草橋の空に響き渡る

もう一度、ロンドンに移住する可能性はあるのだろうか?

「あるだろうね。今じゃなくても。一度経験してしまったから、焦ることはないと思っている。運がいいことに、俺はロンドンで一回も差別されたことがなかった。それは多分、俺が相手の顔色をうかがわず、常に堂々と、根拠のない自信を持ってやっていたからだと思う。お前らはブルースを歌えるかもしれないけど、俺は民謡も歌えるし、ブルースも歌える。だから俺の勝ち! みたいな(笑)」

海外に出て気づいた「浅草橋」という誇り

「よく言われることだけど、浅草橋を一度離れてみて、浅草橋の良さがすごい見えるようになってきた。引きで見た浅草橋はすげぇぞ、と」

どこが浅草橋の魅力なのだろう?

「浅草橋は、みんないい意味で『雑』なのよ。『雑』に扱われっと、こっちも遠慮しねぇでいられっから逆にラクなんだよ。たとえば、誰か知らないヤツが店に入ってきたら、「そのへんに適当に座ってりゃいいよ」みたいな感じ。「お客様どうぞ」とか言われたら、構えちまうから。そういう人と人との自然な距離感が、この街には息づいているよね。言い換えりゃ、人に『寛容』ってことかな」

少年時代から変わってしまったところは?

「そりゃあ、マンションにパチンコ屋、駐車場が増えたことだね。これは不動産屋がきちんと説明しないのが悪いと思うけど、新参の人は、『祭ってなに? なんで町会費が必要なの?』とか言う人が多いんだよ。いやいや、この町は祭をはじめ人の繋がりがすべてだっつーの、って(笑)。

こういうことを言うと『排他的』だなんて言われちまうけど、ここに住んでいた人は意識的でなくとも、ずっと祭やら伝統とかいわれるモンを継承してきたんだ。そのおかげで、浅草橋は浅草橋になってきたんだ。そういうことを、新しく入ってくる人らには少しでも知っといてほしいと思う。海外旅行行くときなんざ狂ったように調べまくんだからさ。新しい風が入ってくることはもちろん大歓迎。町の新陳代謝としていいこと。でも、決まりや習わしは尊重すべき。言わずもがなに……。だって、こう言うことを口に出したら、野暮でしょ。今、思いっきり言っているけど(笑)。いいのよ、俺は。これから、このサイトで『浅草橋のうるさい権化』として降臨していくから(笑)」

祖父も父も自分も、「育英小出身」であるモトクニ。

「今年、甥っ子も育英小に入学したんだ」と、とても嬉しそうに話すのが印象的だった。地元の人にしかわからない「誇り」が、きっとあるのだろう。

母と二人、浅草の三社祭りにて

最後に、結婚をして家庭を持つつもりはないのかと聞いてみた。

「こんな生き方だからね。結婚には向いていないよ。倅を育英小に入れられないことは残念だけど、甥っ子が入学してくれたからな(笑)。結婚するとすれば、それこそ日本人ではないかもしれない。日本人だと、今みたいに浅草橋のスゴさを延々と語ってしまうからね。日本人じゃないなら、まぁいっか、許してやっか、ってな感じだよ(笑)」

半日にわたり、モトクニにインタビューした。

しかし、その魅力は、この記事では十分に伝えきれていないだろう。

彼のすごみは、江戸弁を駆使した「マシンガンのごときトーク力」にある。

そこで、「浅草橋を歩く。」のYouTubeでは、今後モトクニにたびたび出演してもらい、浅草橋の魅力を発信してもらうことにした。

モトクニ主演の「映画」は、まだエンディングを迎えていないはずだ。
これからどんなブルースを浅草橋で奏でていくのか、われわれ「浅草橋を歩く。」編集部は、「謎の男」モトクニを追いかけていく。

彼の「ヤバさ」をもっと知りたい人は、ぜひチェックしてみてほしい。

文:堀田 孝之
写真:伊勢 新九朗