浅草橋といえば、「シモジマ」――今や町のランドマーク的な存在となっている「シモジマ」は、どんな歩みを進めてきたのだろう。
そんな疑問にお答えしてくれたのが、3代目社長であり、現相談役の下島淳延(しもじま・あつのぶ)さん。2020年に創業100周年を迎えた「シモジマ」の〝これまで〟と〝これから〟のお話を伺いました。
目次
創業は1920年。向島、日本橋、馬喰横山、そして浅草橋へ/株式会社 シモジマ
今回訪れたのは、鳥越東交差点のほど近くにある「シモジマ本社」。2016年に完成したという本社ビルはとても立派な建物で、入るときは少し緊張した心持ちになりました。
が、社内はとても和気藹々とした雰囲気。あちこちの会議室から人の笑い声が聞こえてきたのが印象的でした。
私たちを出迎えてくれた下島淳延さんは、2004年まで会社を牽引した第3代社長。退任後は相談役となって、会社や地域の取り組みを支えているそうです。
「これまでの経験を活かして、社会に貢献したいという思いが常にありますね。なので、町内会の総務を担当したり、アドバイザーとしてイベントなどに参加したり、ときには講演会などにも呼んでもらっています」
そう話しながら、アルバムを私たちに見せてくれた下島さん。アルバムには、著名人との記念写真や町内会などの集合写真がいっぱい! 下島さんはこの日の取材のため、さまざまな資料を持参してくれていたのです。
アルバムは数冊に渡り、幼少期の下島さんやご家族の写真も多数納められていました。
「これが創業者で初代社長の父・下島平次と、その妻であり、私の母であり、そして元会長のキクです。2人が二人三脚で大きくした会社を、兄が2代目社長として引き継ぎ、その後、私が継承したんです」(下島さん)
下島平次さんが会社を創業したのは、現在の墨田区向島。キクさんとの結婚、事業の拡大と、順調なスタートを切った初代社長でしたが、それから間もなく太平洋戦争に突入。工場や新設した社屋が戦火の被害に遭ったそうです。
戦争が終わり復員した平次さんは、キクさんと共に数々の苦難を乗り越え、馬喰横山町に本店を移転しました。平次さんはものづくりの天才。キクさんは類い稀なるマネジメント力の持ち主。2人の才能がかけ合わさったことによって、会社はどんどん急成長したようです。
そして、1955年には浅草橋に2号店を開店。ここが、現在の浅草橋クラマエ店にあたる場所です。
「全国各所に営業所を設けながら、しばらくは馬喰横山と浅草橋の2箇所を拠点としていました。その中で育つうちに、2つの街の特色が大きく異なっていることに気づいたんです。横山町は、どちらかというとプロ御用達で一見さんお断りという雰囲気。対して浅草橋は、商品ひとつであれ、相手が誰であれ、お呼びがかかればすぐに商品を届けるという文化がありました。『どうしてこんなに違うんだろう?』という疑問を紐解くなかで、作家・幸田文の『流れる』にたどり着いたんです」(下島さん)
衝撃の事実!〝浅草橋を歩く。〟の前身をつくったのは下島さんだった!
「『流れる』という小説には、浅草橋や柳橋の情景が描かれていました。そのなかに、『この土地は買い物売り物の数に見栄がない』という内容が書かれていたんです。花柳界は一人一人の集合体。だから、個々人の細々とした買い物に引け目がないのだというのです。この本を読んで私は、『なるほど、だから浅草橋一帯にはこういった気さくな雰囲気が漂っているのか』と知りました」(下島さん)
そこで下島さんは、浅草橋界隈の魅力をさまざまな角度から深掘りして、その情報を発信しようと考えます。そして、誕生したのが「遊びにおいでよ! 浅草橋 柳橋 鳥越」というサイトでした。
タウンガイド、史跡・文学巡り、お店や駐車場の情報……サイトには、ありとあらゆる情報が載っています。
「浅草橋、柳橋、鳥越にはそれぞれテリトリーがあり、融合した取り組みは難しいと思っていたんです。でも、PCサイトなら各所の魅力を存分に発揮できるということに気づいて、サイトを作りました」(下島さん)
実は、「浅草橋を歩く。」も、浅草橋に会社を構える伊勢出版の編集長が下島さんと同じ思いで作り出したもの。つまり、「遊びにおいでよ! 浅草橋 柳橋 鳥越」は、本サイトの前身ともいえるべき存在だったのです。
「今、私どもが作ったサイトは発信がストップしています。なので今後は、『浅草橋を歩く。』さんで、うちのサイトを活用していただけたら、と考えているんです」(下島さん)
気さくな街ならではの提案をいただき、なんだか心がジーンと熱くなりました。
ということで、今後は上記のサイトの情報を、当サイトにて再編集をしてお届けしてく予定です!
下島さんの活動は、まだまだあります。なんと、「浅草橋音頭」の作曲をしたのは下島さんの娘さん。お祭りやイベントにも積極的に協力することで、街の人々との交流をどんどん深めていったそうです。
「手芸、文具、おもちゃ、屋形船……この街には多種多様なお店や見所があります。街全体が盛り上がれば、各スポットの魅力もおのずと発信できる。そう思って、街の活性化には力を入れているんです」(下島さん)
下島さんが語る「シモジマ」と浅草橋の〝これから〟
これまで様々な取り組みに携わってきた下島さんに、今後の展望をお伺いしました。
「会社としては、人を育てることが一番重要だと思っています。その人の特色をしっかり観察して、良いところをしっかりと伸ばしていく。これは、キクが口癖のように言っていた『社員は家族』という言葉の影響も大きいと思います。『シモジマ』は同族経営だと思われがちですが、社員は皆家族だと思ってここまでやってきました」(下島さん)
続けて、「人を育てる、ということに関して言えば、障がい者や発展途上国への支援ももっと積極的に行なっていきたいですね」と話す下島さん。
会社では、30年以上前から施設と連携し、障がい者雇用のパーセンテージを上げることを目標に掲げていました。
「常務だった頃、施設の方から、『障がい者のための仕事が欲しい』という内容の手紙をもらったんです。私は『内職仕事なら』と返事をしたのですが、先方から『それでは困ります。ちゃんと技術を身につけて、施設を出たあとも生活ができるようにしたいんです。それが本当の支援なんです』と言われ、その言葉に胸を打たれました。最初は反対の声も多かったですが、今では国内だけでなく、海外の障がい者雇用も推進できるようになりました」(下島さん)
銀行などのノベルティに使用されているコロナ対策グッズは、すべて障がい者が働く工場で製造されているそうです。
「そしてこれからは、環境問題にもしっかりと取り組んでいきたいですね。時代の変化とともに、販売方法や商品内容も目まぐるしく変わっています。100年以上続いた会社としての強みを活かしつつ、時流にも柔軟に対応する。この2つを両立することで、会社はさらに発展していくと思っています。あとは〝ラッピングの素晴らしさ〟を皆さんにお伝えしていくことですね。ワークショップも頻繁に開催して、浅草橋を訪れる人がもっと増えればいいな、と考えています」(下島さん)
創業100年の歩みを一冊に
街の活性化が各店の繁盛にもつながる――浅草橋を代表する企業である「シモジマ」は、会社だけでなく、街や人をも大切に想うからこそ、ここまでの発展を遂げてきたのだということがわかりました。
「母・キクの座右の銘であり、創業100年を記念して作られた冊子のタイトルでもある『一寸損する気持ち』が、我が社の精神的基盤になっているのでしょう。損をすることが却って良いことにつながる。その気持ちで、これからもどんどん様々なことにチャレンジしたいと思っています」(下島さん)
下島さんの言葉には、会社を経営する者のみならず、今を生きる人々へのエールやヒントがたくさん宿っているように感じました。
「シモジマ」の理念を知った上でお店に行くと、新たな発見に巡り会えるかもしれません。
お買い物の際は、ぜひ過去にご紹介した「シモジマ全フロアマップ」をご覧ください!
撮影/伊勢 新九朗
取材・文/牧 五百音