開校120年!「開智日本橋学園」が浅草橋の人々との交流を求める理由

浅草見附跡碑すぐ近くの「開智日本橋学園」。浅草橋の人々にとっては、「ああ、あの子たち!」となじみ深い反面、なかなか交流する機会がありませんよね。

なんでも、開智日本橋学園は今、町のみなさんとの交流を求めているとか? 浅草橋の新たな可能性を模索するため、今回特別に校内にお邪魔して来ました!

〝街が学校〟
地域交流に託された願い

言問橋のたもとに建つ「浅草見附跡碑」は言わずもがな浅草橋のシンボルマーク。この地に江戸城の城門があったという〝過去〟を伝える石碑を眺めながら、はるか江戸時代の東京に思いを馳せる歴史好きは多いと聞く。

が、2024年12月某日、我々「浅草橋を歩く。」編集部は浅草見附跡碑の前に足を止めると、石碑ではなく〝未来〟の方角を仰ぎ見た。これは比喩の類ではない。浅草見附跡碑から左上に視線を移した先に校舎を構える「開智日本橋学園」。今回はそこにお邪魔して来た。

登下校する開智日本橋学園の生徒たちの姿は、この街の日常風景だ。とはいえ、古くから浅草橋に根を張るバシっ子にとっては、「開智日本橋学園」よりも、「日本橋女学館」の名のほうがピンと来るかもしれない。

「開智日本橋学園」は、「日本橋女学館」を共学化するにともなって、新たに付けられた校名である。共学化されたのは2015年※のこと。そう、今年でちょうど10年目の節目を迎える。

※正確に言えば、2015年4月から中学校のみ共学化。高校も共学化されたのは2018年4月からで、それまでは開智日本橋学園中学校と日本橋女学館の両方が存在していた。

「日本橋女学館」時代の面影を残す『清純』像。本を持つ左手は学問への意欲、胸元に置いた右手は内面の深まりと向上を象徴している

共学化と同時に、「国際バカロレア」というワールドワイドな教育プログラムを導入する。その国際バカロレアのほか、校風などについてはのちに述べるとして、ここでは学校を作り変えるとい事業それ自体に想像力を働かせてみよう。授業の整備、生徒募集、保護者の方々との協力関係……。それらが一朝一夕で終わらない作業であることは門外漢でもなんとなくわかる。

校長の近藤健志先生は、この10年の歩みを「学校としての土台作りだった」と振り返るが、相当なエネルギーが必要だったことだろう。

現在、多くの関係者の努力が実り、〝土台〟は固まってきた。そうしたなかで近藤先生は〝次の10年〟を眼差す。先生が見つめる開智学園 日本橋学園の未来について聞いてみた。

「浅草橋の方々との交流を深めることです。実は「開智日本橋学園」の前身、「日本橋女学館」は100年以上前に、当時の街の方々が「これからは女子教育が大切だ」と半歩先の未来を見すえて設立した学校だったんです。そういう経緯があるので、女子校だった頃はお祭りに参加するなど、浅草橋の方々との交流が盛んに行われていました。」

「開智日本橋学園」の校長・近藤健志先生。ビジネスマンから教員に転身した異色の経歴を持つ。解放された校長室に生徒たちが訪れて一緒に昼食を取るなど、後述するような先生と生徒の距離が近いという開智日本橋学園の特色を何より体現する人物でもある

開智日本橋学園と浅草橋の間にそんな過去があったとは。お恥ずかしい話、浅草橋にところを構えながら我々編集部は知らなかった。近藤先生のお話を聞いて、「一新亭」のご主人でありアマチュア写真家でもある秋山武雄さんの写真を見た時のように、歴史の影に埋もれた浅草橋の人々の痕跡に触れたような思いがした。

浅草橋「一新亭」の主人にして日本で最後のアマチュア写真家・秋山武雄の見た下町

「当校と浅草橋の方々との交流は、時代の流れとともに少なくなって行きました。そして女子校に対するニーズも減少したことでリニューアルされたのですが、今こそ学校の元来の特色を取り戻す時だと考えています。〝City as a classroom〟という言葉があります。日本語で言うと〝街が学校〟という意味です。浅草橋という街はお店や施設が充実していて、さまざまな活動をされている方がいますよね。そのような地元の方との交流、お手伝いを通じて、生徒にさらに成長してほしい。当校は、それができるポテンシャルを秘めています」

実は今回、近藤先生が取材を快諾してくれたのも、「浅草橋を歩く。」を通じて浅草橋の人々に開智日本橋学園の地域交流への願い(情熱と言い換えてもいい)を知ってほしいからとか。

我々編集部は言うなれば、開智日本橋学園と浅草橋の人々との橋渡し役というわけだ。責任重大だが、浅草橋がさらに盛り上がると思うと腕が鳴る。そのようなわけで、次章から、校風、そして、そこに通う生徒たちの魅力を紹介して行こう。

語学堪能な生徒たち
過去にはあのお店ともコラボ!?

我々「浅草橋を歩く。」編集部は、近藤先生の案内のもと、校内見学に出発した。百聞は一見に如かず。実際の学校生活に触れたほうが、生徒たちの魅力がうかがえるというわけだ。

ここで、教育の基礎をなす国際バカロレア(IB)について簡単に解説しよう。

国際バカロレア(IB)とは、スイス・ジュネーブに本部を持つ国際バカロレア機構が提供する教育プログラム。世界の多様性を理解・尊重する精神に基づき、国際的に活躍できる視野・スキルを育むことを目的としている。現在日本には、開智日本橋学園を含めて200校近くの国際バカロレア認定校があるそうだ。

上記のような教育プログラムに基づくこともあり、語学を学ぶには最適の学び舎だ。たとえば、ネイティブスピーカー、また二言語を堪能に話せるバイリンガルの先生(ほかならぬ近藤先生自身がまさにそうだ)が何人も在籍して、生徒の指導にあたってくれているほか、美術、技術・家庭科の授業はコースを問わず英語で実施。生徒は通常の座学では養われにくい、コミュニケーションツールとしての英語力を身に付けることができる。

こちらは「開智日本橋学園」の英語教材。これらの本は先生たちが自ら書店で探し求めて購入しているとか

近ごろは、浅草橋にもインバウンドの波が押し寄せている。慣れない英語に四苦八苦するお店の方とお話しする機会も増えているが、開智日本橋学園の生徒がもしかすると救世主になるかもしれない。校内見学の途中、その旨を近藤先生に話してみると、先生は過去に開智日本橋学園と浅草橋のお店がコラボレーションした際のエピソードを披露してくれた。

「「開智日本橋学園」の子たちは真面目で良い子たちばかり!」と語るインド出身の先生。先生は興味がある生徒にヒンドゥー語のレッスンもしてくれるという。そのほかにもフランスやケニア出身の先生も在籍している

「実はタイ料理さんの「パヤオ」さんのメニュー表を作らせてもらったことがあります。「パヤオ」にご飯を食べに行った生徒たちが「美味しいけどメニュー表をもっと良くできるはず」と言うので、「それなら提案してみたら?」と。すると、「パヤオ」さんも快諾してくださって。ご承知の通り、当校には英語ができる生徒が多いのですが、メニュー表の表記等でその力を発揮できました。今から7、8年前のことでしょうか。その時制作したメニュー表は現在でも使用していただいています。」

「浅草橋を歩く。」でも過去に「パヤオ」さんを取材させてもらっているが、まさかあのメニュー表が、生徒の作だったとは……。海外からのお客さんとのコミュニケーションに苦労している浅草橋のみなさん、是非とも開智日本橋学園とのコラボをご検討あれ。メニュー表作りに限らず、力になってくれるはずだ。

独特の辛さがクセになる! 浅草橋で本場のタイ料理を食べるなら「パヤオ」で

生徒ファーストな学び舎で育まれる
主体的に行動する力

一方で、「パヤオ」さんのメニュー表作りのエピソードを聞くと、どうやら生徒たちのポテンシャルは語学力に留まらないようだ。行動力が高いと言うべきか。主体的に考え実行に移す力に非常に長けているという印象を受ける。

近藤先生によれば、このような生徒たちの行動力の高さは、校風が関係している。

それはずばり、〝自分で動く〟ということ。

普通の学校では先生が指示して、生徒たちはそれに従うということが基本。テストでも先生が黒板に書いた知識を再現できるかどうかを問われる。だが、それだけでは子どもたちがこれからの時代を生きて行く力が培われないというわけだ。

生徒たちが主体的に自分で動く。そのために先生たちは生徒たちのサポート役に徹する。

ビジュアルアートを専攻する生徒たちの作品。生徒たちは過去の芸術家の作品を学びながら想像力を育み、1年をかけて自らの作品の構想を練る

「当校は生徒と先生の距離がとても近いです。先生たちには目線を下げるようにお願いしています。上から目線で「こうしろ、ああしろ」と指導するのではなく、生徒たちが何かをやりたいと言った時にはまず相談に乗ってあげる。それから「失敗しても良いからやってみよう!」と背中を押してあげる。もちろん生徒たちはまだ子どもなので、やりたいことを実現する方法がわかりません。そこを一緒に考えてあげることが大切だと思っています」

主体性のみならず、開智日本橋学園の授業では生徒たちの論理性が磨かれるような工夫が先生たちによって施されている。たとえば、国語の授業では生徒たちがおススメの本をプレゼン。それを先生ではなく生徒たちがフィードバックする。要点をまとめる力・伝える力が磨かれ、学校OBの中には学校生活での経験が就職活動でも活きて、面接に通ればほぼ合格できた」と語る者も

生徒たちの主体性は受験希望者向けの学校説明会でも発揮される。学校説明会では生徒たち自らの意思で参加して、学校生活について解説してくれるという。

国際的な問題をディベートする模擬国連部に所属するKさん。その他にもバレー部や調理部でも活動するなど、学校生活をアクティブに楽しんでいる

「「先生たちがやると良いことばかり言うから本当のことがわからない!」と(笑)。結果、生徒たち自らが組織化して、受験希望の子とそのご家族のために学校案内をしています。生徒が1人付いて「この学校はこうなんですよ」と校舎を回りながら解説して行くのですが、夏だけで1000組ほど案内していますね。案内役の生徒のトレーニングも上級生が行っています。話す内容などについて我々はなるべく干渉しないようにしています」

Aさんは半分近くの授業を英語でおこなうディプロマプログラム(DP)コースに所属。曾祖母の営む旅館のある地域を英語で紹介することで海外からの観光客を呼び込みたいと考えているとか

開智日本橋学園を「先生と接しやすい学校」だと語るSさん。彼女も将来は得意な英語を活かせる職業に就くことが夢だと語る。

そのほか、遠足などの学校行事についても委員会化されて生徒たち主導でおこなわれているとか。
校風に惹かれて、もともと主体的に行動できる生徒たちが集まって来る面もあるだろう。しかし、そのような生徒たちの個性も上から抑えつけては育たない。普通の学校、あるいは私たち大人は無意識にそれをしてしまいがちだ。生徒の主体性に重きを置く学校は数多くあるが、開智日本橋学園ほど情熱を持って取り組んでいるところは少ないだろう。

学校生活を通じてマインドセットされた〝自分で動く〟習慣は、大学進学後も大いに活きているようだ。大学に進学後に「ゼミやサークルでリーダーシップを取りやすい」「自分のやりたいことを大学にプレゼンして採用された」など、OBの声が近藤先生のもとに届いているという。

「これからも生徒たちが自分の意志で動ける環境を作って行きたい」と力強く語る近藤先生。
生徒ファーストな先生たちに見守られながら、今日も生徒たちはスクスクと成長している。

「開智日本橋学園」の生徒たちと
これからの浅草橋を
見つけよう

完成したばかりだという「開智日本橋学園」の屋上運動場。人工芝は体育の先生のこだわりで敷かれたもの。通常の人工芝よりも汚れにくいとか

そういうわけで、校内見学もこれにて閉幕。取材終了後は主に30~40代で構成される我々編集部内で、「うちの子も是非とも入学させたい!」という感想が続出した。……と同時に年甲斐もなく、「自分も入学したい」という意見も。やりたいこと・勉強したいことがあってもなかなか実現できず悶々としていた少年・少女時代の自分をふと思い出したからだろう。思い出してしまうぐらい、この学校の生徒たちの姿は輝いていた。

近藤先生のパソコンに貼られた〝beat yesterday〟のステッカー。〝明日を超えろ〟という意味で穏やかだが内に情熱を秘めた先生を何より表している

さて、記事中でも紹介したように、開智日本橋学園は現在、浅草橋との交流を望んでいる。もちろん、営業との兼ね合い、また学校側として授業の一環であるなどいくつか制約がある。それでも生徒たちと共同で1つのプロジェクトに取り組むことで、我々は新しい浅草橋の可能性を見出せるはず。

ちなみに「エトワール海渡」では、自社のコミュニティスペースを使って生徒たちとの共同授業を開催。浅草橋と開智日本橋学園の交流はすでにはじまりつつある。

知らなきゃ絶対に入れない!浅草橋のデパート「エトワール海渡/馬喰ローカルマルシェ」

我々「浅草橋を歩く。」も一緒に何かできないか目下検討中だ。もしかすると近々、生徒たちが執筆した取材記事が掲載(筆者よりも文章が上手だったらどうしようと若干ビビっている)されるかもしれない。こうご期待!

「開智日本橋学園」HP

開智日本橋学園
住所:東京都中央区日本橋馬喰町2-7-6

文/及川(古書みつけ日替わり店主のひとり)
写真/伊勢新九朗