『暮らしの手帖』の表紙印刷を担う「望月印刷」が地元浅草橋を大切にしているワケ

浅草橋には、1905年(明治38年)創業の老舗印刷会社がある。望月印刷株式会社だ。
望月印刷は、雑誌『暮らしの手帖』の表紙印刷を担うほか、全国に営業所を持つような大企業を主なクライアントとして業績を上げてきた会社だ。

そしてここ数年は、印刷会社の視点から、地元浅草橋を盛り上げるための活動を次々とスタートさせている。

なぜ、望月印刷は、「地元浅草橋」を大切にしているのか?

代表取締役社長の望月邦彦さん、制作部の田中一博さん、小須田善人さんの3人にお話をうかがった。

創業1905年の老舗印刷会社

望月印刷の始まりは、今から116年前にさかのぼる。

浅草橋の神田川沿いに上京してきた望月家は、和紙を作る「紙漉き(すき)」を生業とした。当初は、「紙に刷る」仕事ではなく、「紙を作る」仕事からスタートしたのである。

戦後になると、企業の封筒を作る(製袋)の仕事が増えた。封筒には社名を入れる必要があるため、その流れで印刷業にも参入していくこととなった。
4代目社長の望月邦彦さんは、先代たちが担ってきた時代を振り返って、次のように話す。

4代目社長の望月邦彦さん

「まだパソコンもスマホもない時代、印刷物は唯一の情報伝達の手段でした。企業の販促物、チラシ、ダイレクトメール、事務書類のすべてが紙です。そのため、印刷会社は引く手あまたでした。弊社もこの時代に、大手銀行や保険会社、通信教育の会社との取引が始まりました」

そんな時代背景もあり、望月印刷は次々と業務を拡大していったのだった。

『暮らしの手帖』の表紙印刷も担う

望月印刷の仕事でひときわ目を引くのが、雑誌『暮らしの手帖』の表紙の印刷である。
なんと、現在まで50年以上にわたって、『暮らしの手帖』の表紙は、望月印刷によって印刷がなされているのだ。

戦後はデザイナーなどクリエーターの顧客も多かったため、その人脈で、人気雑誌の表紙の印刷という大役を担うことになったのである。

制作部の小須田さんは、

「伝統ある人気雑誌だけあって、表紙の出来具合にはシビアです。出版社から毎回表紙に使うイラストの原画を預かり、印刷時は、原画の色味や質感を再現する必要があります」

と話す。

制作部の小須田善人さん

望月印刷が半世紀以上にわたって『暮らしの手帖』の表紙印刷を担当できているのは、色を再現する技術やノウハウが高いからに他ならない。

同じく制作部の田中さんは、望月印刷の「強み」について次のように話す。

制作部の田中一博さん

「今の時代、印刷会社の存在意義は、『色を再現するノウハウ・技術・設備を持っている』ことだと思います。家庭のインクジェットプリンターでは出せない良質な印刷物を作ることができる。これが印刷会社のアイデンティティーではないでしょうか」

さらに田中さんは、「ただ印刷するだけではない」ことが、望月印刷の特徴だと続ける。

「弊社には、恵比寿に『スタジオエビス』という撮影スタジオを持っています。だから、写真撮影から画像処理、印刷の仕上がりまで、トータルで商品のクオリティーを担保できるのです。
また、案件の大小にかかわらず、すべてのお客様に親切に対応できるように、必ず担当営業をつけ、細やかなニーズの聞き取りを欠かさないようにしております」

望月印刷では、個人による小ロットの発注でも相談可能だという。クオリティーの高い印刷物を作りたいとき、ネットプリントのサービスに不満があるとき、個人でも印刷会社に相談することができる。この選択肢は、これまで見過ごされていたのではないだろうか。

浅草橋本社にある印刷機。大規模な印刷工場は墨田区業平に構えている

印刷不況で痛感した「地元浅草橋」の豊かさ

大手企業との取引が中心だった望月印刷。
しかし、デジタル化の大きな波を受けて、印刷業界全体は下り坂に転じてしまう。
時代の変化に対応できなければ、業界で生き残るのは厳しい。
そこで望月印刷は、今後会社が進むべきいくつかの方向性を導き出した。
その中の1つが、「地域密着の印刷所になる」ということだった。
望月社長は次のように振り返る。

「この地に居を構えて116年になるというのに、地元のお客さんはほとんどいなかったんです。存在は知られているのに、『望月さんは大企業を相手にする会社』というイメージが出来上がっていました。私どもも、『地域に貢献する』と謳っていながら、具体的には何もやれていないのが現実でした。私自身、生まれ育った台東区、浅草橋を元気にしたいという思いもあった。そこで、地元に愛され、地元を盛り上げる印刷所を目指そうと思ったのです」

望月印刷のエントランスに飾られた、江戸時代の地図

望月社長の理念は社員にも共有され、望月印刷は次々と地域に密着していく。

2013年からは、台東区エリアのモノづくり関連企業が参加し、台東区の魅力を発信するイベント「モノマチ」に参加。田中さんは第10回モノマチの実行委員長を務め、オープンファクトリーやワークショップを企画運営した。イベント時には小冊子を自社で作成した。
そこで生まれた地域の人とのつながりによって、「浅草橋ぶらぶらマップ」(浅草みなみ観光連盟発行)など、地元の人から受注する仕事も増えてきた。

浅草橋ぶらぶらマップとは?

「浅草橋を歩く。」編集部も掲載!「浅草橋ぶらぶらマップ‘21」をもって楽しく便利に浅草橋を歩く。

「地域のみなさんとの交流が増えて、印刷のニーズはそこら中にあることに気づきました。これまでは、お互いに出会う場所もきっかけもなかっただけなんです」と田中さん。

ちなみに、9月25日に「浅草橋を歩く。」編集部が刊行する「浅草橋FANBOOK」の印刷も、ご縁があって、望月印刷さんにお願いすることになった。

「マーチング委員会」でも地元を盛り上げる

地域密着型を目指す望月印刷の試みは、「モノマチ」だけに留まらない。

2016年からは、水彩画のイラストで町おこしを目指す「マーチング委員会」に参加。
マーチング委員会とは、ご当地を水彩画で描き、それによって街の魅力を発信していこうという試み。印刷業界を中心とした団体である。すでに全国63カ所にマーチング委員会が誕生し、860団体が参加。各地で町おこしのための活動が行なわれている。望月印刷は、「台東マーチング委員会」に参加している。

本社玄関前の看板

その活動の一環で、水彩画のポストカードを展示した看板を作り、本社の玄関前に置いたところ、それだけで地元の人からのポストカードの受注が増加したそうだ。4カ月程度で昨年の売り上げを超えるほどの成果だったという。

レターセット

また、水彩画を使用したレターセット、マグカップ、トートバッグ、ベビー服などのグッズ販売も開始し、浅草橋の魅力を発信している。

(上段)ポストカード、クリアファイル、マスクケース (下段)マグカップ・湯呑み・水筒、トートバッグ、ベビー服

これらのグッズは、オンラインショップで購入することができる(一部グッズは9月より販売開始)。

地域密着の印刷会社だからできること

望月印刷はその他にも、印刷所ならではの商品を積極的に制作している。

たとえば「フェイス・シールド」。一般に販売されているフェイスシールドは代わり映えのない同じデザインだが、望月印刷に頼めば、頭に装着する部分を、自分の好きなデザインで印刷することができる。

望月印刷に頼めば、フェイスシールドもオリジナリティあふれるものに

傾けると立体的に見える名刺

また、こだわりの「名刺」を作ることも可能だ。レンチキュラー印刷という、専用シートとかまぼこ状の特殊レンズを組み合わせた手法で印刷を行なうと、平面の印刷物でありながら、目の錯覚によって、立体的で動きのある名刺を作ることができるのだ。

現在、「浅草橋を歩く。」編集部が絶賛制作中の浅草橋FANBOOKの印刷も望月印刷で

このように望月印刷は、私たちが個人で依頼してみたくなるサービスや商品をたくさん持っているのだ。地域の人たちにもっとこのことが伝わっていけば、「町の印刷屋さん」として活躍の場が広がっていくことは間違いないだろう。

「私たちには長年培ってきた技術があります。それを浅草橋の人に知ってもらうために、これからも積極的に地域社会に貢献していきたいです。デジタル時代と呼ばれて久しいですが、印刷物に愛情を持つ人も確実にいます。最近は『文具女子』も増えていますし、紙や印刷物が好きな人たちへ、これからも良質な商品やサービスを提供できればと思います」

3人の言葉にグッとくるものがあった。

私が生業とする出版業界も、紙の本からデジタルへの移行が進んでいる。
このまま紙の本は消滅するという人もいる。
しかし、私はそうは思わない。
紙の風合いや質感、印刷された文字や絵や写真の美しさ、ほのかに香るインクの匂い、驚くような加工技術。
そういったものは、決してデジタル媒体では手にすることができないだろう。

老舗印刷屋さんの力強い言葉に、出版業界の片隅に生きるものとして、勇気をもらえる取材となった。

取材・文/堀田 孝之(「古書みつけ 浅草橋」店主)
写真/伊勢 新九朗

望月印刷HP