氏子さんとともに次世代の成長をあたたかく見守る地域密着型の社「須賀神社」に参拝

『浅草橋を歩く。』では、これまで浅草橋に鎮座する数ある社寺をご紹介してきました。今回参拝におとずれたのは、メイン大通り沿いにひっそりと佇む「須賀神社」。神社が掲げている〝疫病退散〟の青いのぼり旗を目にする方も多いのではないでしょうか?

どんな神様をお祀りしているのか、これまで浅草橋とどのように関わってきたのか。色々とお話をうかがってきました。

疫病退散の御利益をいただきに、歴史ある古社を訪問

おうかがいしたのは、浅草橋の大通りに面する場所に鎮座する「須賀神社」。お店が立ち並ぶ通りを歩いていると、ひっそりと、けれど確かな存在感を醸し出すお社が現れます。

境内はこじんまりしていて、静謐な空間。社殿の前の大きくて凛々しい狛犬は、心なしか街の様子を見守っているようにも感じられます。

この神社にはどんな歴史があるのだろう、と由緒が書かれた看板を見てみると、創建は600年(推古天皇の時代)とのこと。つまり、こちらの神社は1600年以上の歴史を持つ格式高い古社であることがうかがえます。

そして、御祭神には「素戔嗚尊(すさのおのみこと)」のご尊名が。素戔嗚尊といえば、勝利や長寿のご神徳を司る神様として有名です。

実は、須賀神社はもともと、午頭天王(ルビ※ごずてんのう)をお祀りするために創建された神社。その昔、一帯に疫病が流行した際に、病気平癒をお祈りし快気した、という言い伝えが社伝に残されています。

午頭天王は〝疫病除けの守護神〟として崇められていた神様で、神仏習合の信仰の対象。つまりこちらの神社は、もともとはお寺と神社、どちらの要素もあわせ持っていたのです。

しかし、明治時代の神仏分離令によって分離され、以降は「須賀神社」という名で親しまれることになったそうです。素戔嗚尊を御祭神とする神社は、この神仏分離まで牛頭天王をお祀りしていた神社が多いともいわれています。

須賀神社の社紋は、牛頭天王を御祭神とする京都の八坂神社と同じ〝五瓜に唐花(木瓜)〟。この御紋こそが、かつて牛頭天王をお祀りしていたことを印しています。

加えて、疫病の際に娘の快癒を祈った両親が笹の枝に団子をさした〝笹団子〟を奉納したという伝記もあったことから「須賀神社」と改称するまでは「団子天王様」「蔵前牛頭天王」という尊称が流布していたとか。

知られざる神社の歴史を知り、驚きとともにこれまで以上の畏敬の念を抱きました。

神社の歴史をさらに深堀り!宮司の杉山さんにインタビュー

前述のお話を教えてくださったのは、宮司の杉山高根(たかね)さん。神社をお守りする家系に生まれ、サラリーマンを経たのちに「須賀神社」の宮司を務めることになったそうです。

「父はサラリーマンでしたが、祖父や叔父は宮司でした。大学進学の際祖父に『東大に行くか神主になるか選びなさい』といわれたのを今でも覚えています(笑)。それもあって大学時代から叔父の手伝いをしていて、縁あってこの神社にやってきたんです」

杉山さんは、お茶目で気さくな江戸っ子。堅苦しい雰囲気は一切なく、神社のアレコレをラフに語ってくれました。

「今の社殿が完成したのは昭和30年代。もともとこの神社は仏教色が強くて、以前の社伝には神社にある紙垂(ルビ※しで)がかかっていなかったりとお寺の名残が色濃く残っていたんです。神仏分離をなされたといっても、午頭天王への信仰が強かったんですよ」

「それもあって、いま再び疫病退散のご神徳をいただきに来る方が多いです。それに応じてのぼり旗をつくってもらったりして。このご時世、牛頭天王の力をぜひお借りしたいところですね」

杉山さんのお話に、強く頷くことしかできませんでした。

神社のモットーは『子どもたちに楽しんでもらうこと』

須賀神社関係者は、毎年大盛況の「柳橋納涼盆盆踊り大会」を開催しています。櫓の設置や進行を実質的に務めるのは「須賀睦会」。

杉山さんは「うちは氏子さんたちがしっかりした方ばかりで、非常に助かっている」と仰います。

「須賀睦会」は、氏子さんたちが集結した神社の青年会。以前当サイトでご紹介した「松根屋」さんでインタビューに応えてくれた山本さんが青年会長を務める組合でもあります。

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社務所の入口には、運営に広告を寄せた会社の一覧表が。表には、浅草橋を代表する名だたる名店がずらり! 協賛を呼びかけたのも「須賀睦会」の皆さんなのだそうです。

「うちの氏子さんは、業種がみんなバラバラ。皆がそれぞれ得意とする分野で力を発揮してくれているから、円滑な行事進行ができているんです。うちは他の神社のような派手さはないけれど、結束力は負けていないと思います」

「もうひとつ、須賀神社が他と異なる点が『子どもたちに楽しんでもらう』ということに注力していること。豆まき、抽選会、ダンス発表会など、子どもたちをメインにした催し物が多いんです」

神社に残るお写真を拝見していても、その思いはしっかりと伝わりました。どの写真にも、たくさんの子どもたちがメインに写っているのです。

「かつて子どもたちだった氏子さんが、大人になって『須賀睦会』として活躍してくれているというのはとてもうれしいことです。楽しい思い出を継承することで、神社との縁を深めてもらえたら良いですね」

氏子の皆さんがなぜこれほどまでに活動が熱心なのか。そこには、須賀神社ならではのモットーが深く関わっていたようです。

次世代を担う子どもたちを大切にする。その思いが次の世代、そのまた次の世代に受け継がれてきたことで、神社が長きに渡り深く愛されてきたのだと知りました。

充実したインタビューを終え、最後に御朱印をいただきました。

「うちのは派手じゃないよ」と笑いながら、社印をグッと力強く押す杉山さん。その所作に、須賀神社の魅力が詰まっていたように感じます。

まとめ

古社には、予想もしなかった知られざる歴史や人々の思いが凝縮されています。須賀神社も同様。参拝して、お話をうかがって、そこでようやく真の魅力を知ることができました。

疫病によって思い悩むことが増えたいまこそ、ぜひ、足を運んでいただきたい神社です。

撮影/伊勢 新九朗

取材・文/牧 五百音