“街の味”というものがある。
メディアで話題の店ではない。口コミサイトで高得点の料理でもない。
古くよりその街で密やかに根付き、そこで暮らしを営む人々や地元の商売人たちに愛される「普段着の」店の味のことだ。
浅草橋駅西口駅前の「天竜」は、まさにそのひとつ。この街の、いわゆる“バシッ子”たちはここの味で育ち、「天竜」は半世紀以上、街を、市井人を支え続けてきた。
「天竜」には、これまでメディア取材が入ったことはなかったが、お店に通う元「モーニングことこと」店主、鏡ひかるさんが「お二人の姿をぜひ記録に残したい」という思いで尽力いただき、カメラが入るご承諾をいただいた。これぞ地域メディア冥利に尽きる。
昭和、平成、そして令和へと紡がれる街の味、そして知られざる歴史とは——。
前編では実食レポートをお届けしたい。
西口駅前、赤い暖簾のあの店へ
浅草橋駅西口改札を出てすぐ目に飛びこむ赤いファサードと、「サッポロラーメン天竜」の文字。
地元人や通勤、通学者で目にしたことがない人はいないだろう。
立て看板に記された「良き味 中華そば」のてらいのないシンプルな言葉に、期待感が高まる。
訪れたのは14時前。店内はカウンター5席、4人がけテーブル2卓の、クラシカルな町中華の造りだ。
献立は味噌、醤油、塩バターラーメンをベースにチャーシューやワンタンなどのトッピングとライスのみ。「チャーシュー1枚より入れます」の貼り紙を目にした時、同じタイミングで入った常連らしきお客さんが「味噌コーン、チャーシュー1枚、小ライスで」とオーダーしたので、倣ってみた。
ボリュームとやさしさがあふれる一杯
ほどなくして味噌コーンラーメンが供された。一般的なラーメンよりも大ぶりなどんぶりから湯気立つ香りがたまらない。山盛りの挽肉にコーンともやし、そして1cm以上はある分厚いのチャーシューが黄金色のスープに浮いている。
スープをひとくちいただくと、やさしい味噌の風味が口中に広がる。今風の様々な調味料を加えた派手な濃厚さはなく、ほっとする実家のような安心感が体中にしみわたり、初めて食べるのに懐かしさすら覚える。この味噌は創業以来変えていないという。
そのスープによく絡むのが、少し柔らかめに茹でられたトラディショナルな中太麺だ。このコンビが合わないわけがなく、気がつけば箸は止まることなくズルズルズル……とすするが、なかなか量が減らない。
「昔、この街は建設現場で働いている人が多かったから麺はたっぷり入れているのよ」と女将さん。
おしつけがましいウンチクではない、「お腹いっぱいになってもらいたい」というやさしい心配りに、長年愛される理由の一端が垣間見えた。
同席したひかるさんが注文した塩バターコーンラーメンを一口いただくと、バターのコクと塩味が混ざり合い食欲がそそられる。「今回2回目ですが、前食べた時よりも美味しい」と編集長が太鼓判を押す醤油ラーメンはまろやかな旨味に溢れている。「次回訪れた時は……」なんて、うれしい悩みが増えてしまった。
常連客考案の即席チャーシュー丼が定番に
ふと顔を上げて、先ほどの常連氏を見ると、スープに浸したチャーシューをライスに乗せ、少しスープをかけた上に卓上のラー油を重ねた。即席のチャーシュー丼だ。
思わず真似をしていただくと、これがまた格別じゃないか。
箸で切れるほど柔らかく煮込まれたジューシーな皮つき豚バラ肉がスープの風味をまとい、そこにラー油の辛みが相まって至極のごはん泥棒に。新潟県産コシヒカリが瞬く間になくなり、並ライスにしなかったことを悔やんだ。
「最初見た時、あれ? うち、チャーシュー丼なんてないけどって思って。お客さんがはじめたのよ。それが知らないうちに広まって」と女将さんが教えてくれた。これはぜひ試していただきたい。
古き良き下町の情景も味わう
そのチャーシューはもちろん、ラードとニンニクでしっかり下味をつける挽肉やスープ、ライスに添える糠漬けまですべてご主人の手作りで、毎朝4時から仕込みをはじめるという。昼のたった3時間半の営業のために労を惜しまず時間をかける職人仕事が、ラーメンだけではなく細部にまで宿っているのだ。
舌鼓を打ちながら感心していると、閉店30分前に白衣のコック服を着た料理人とその伴侶と思しき二人組が暖簾をくぐり、カウンターに腰をかけた。ビールと味噌ラーメン2杯を注文し、女将さんにお土産を手渡す。食べ飲みしながらカウンターを介して豊洲の仕入れの話や街の四方山話でお店の二人と盛り上がっている。(※取材時は2021年6月末時点)
まるで、往年の小津映画を観ているようなノスタルジックな情景が、「人付き合いが魅力の下町」と誰もが口を揃えて言う浅草橋の良さそのものを物語っていた。
(後編へ続く)
半世紀にわたってバシっ子たちに愛される“街の味”「天竜」ご夫婦インタビュー【浅草橋の粋人】【店舗情報】
天竜
住所:東京都台東区浅草橋1-23-3
電話:非公開
営業:11:00〜14:30
定休日:木・日曜、年末年始(そのほか、都合により休む場合があります)
取材・文/藤谷 良介
写真/伊勢 新九朗