[前編]160年余、守り続ける江戸前の佃煮。[鮒佐]5代目・大野佐吉さんインタビュー

“江戸前五大食品”をご存じだろうか。

浅草海苔、佃煮、にぎり鮨、鰻の蒲焼、天ぷら。東京湾で獲れた魚介を使用したこれらが、伝統的な江戸前料理と言われている。

その中の佃煮は、安政5年(1858年)に、棒手振りだった青柳才助が日本橋呉服町稲荷新道で、佃島漁民の雑魚の塩煮を「佃煮」と称して販売したのがはじまりと伝わっている。

現在、誰もが想像する佃煮は醤油味のものだが、そのルーツとされているのが浅草橋の『鮒佐』だ。江戸時代に創業し、今もその味を守り続ける老舗の5代目・大野佐吉さんに、店の歴史とこだわり、浅草橋への思いについてうかがった。

160年以上前に浅草橋で誕生した“江戸前佃煮”

早朝8時。浅草橋から徒歩数分のビルの一室に入ると、芳しい醤油の香りが漂っている。4つ連なった鈍色の竈(かまど)から立ちこめる湯気。飴色の水面では気泡がぼこぼこぼこ……と静かに音をたて、白衣をまとった職人が傍らで見守りながら時折灰汁を取り、薪をくべる――。

「鍋全体を包み込む薪の火の、自然にできる強弱が味の機微に影響しているんです」

と教えてくれたのは五代目の大野佐吉さん。
鮒佐では160年余、薪と竈で煮る製法を守り続けている。

毎朝7時半頃から始まる下ごしらえもすべて手作業。

鮒佐は文久2年(1862年)、下総國(現在の千葉県)で生まれ育った大野佐吉氏が、現在の浅草橋である浅草瓦町で創業した。

創業以前、初代は江戸四宿のひとつ千住の名物「鮒のすずめ焼き」を商いとしていたが、隅田川河口に釣りに出た際、暴風雨で佃島に避難し、そこで漁師に振る舞われた雑魚の塩煮に感銘を受け、佃煮を作り始めたという。

江戸時代の佃島(右奥)広重「江戸名所 永代橋佃島」 出典:国立国会図書館デジタルコレクション

当時の佃煮は、魚介類をまとめて塩で煮た保存食。初代はそれを素材ごとに分け、当時高級だった醤油で煮るという製法を発案した。それが、現在広く親しまれている醤油味の江戸前佃煮の原型になったと言われている。

大正12年(1923年)の関東大震災で焼失する前の鮒佐。右奥の家屋には初代が開いた北辰一刀流の道場があった。写真提供:鮒佐

こだわり続ける伝統の道具と手仕事

明治43年(1910年)東京の下町が大水害に見舞われ、当時の日本橋魚河岸が機能を停止した時、二代目が料亭の煮物から着想を得て、後の鮒佐の名物となる牛蒡の佃煮を考案。

その後、関東大震災、第二次世界大戦の戦火を経て、平成16年(2003年)に当代の五代目が跡目を継承した。

昭和54年の店舗。この看板は今でも店頭に掲げられている。写真提供:鮒佐

鮒佐の佃煮を作る道具は創業当時から変わらない。その要となるのが“へっつい”と呼ばれる竈だ。それは「食材を煮る上で、理にかなっている」と五代目は話す。

「五右衛門風呂と同じで、竈の構造上、時間が経てば経つほど熱が竈全体に伝わって、端的にいうと燃費が良くなります。なので1回目より2回目、3回目とどんどん煮る時間が短くなる。そして、薪は火力が強すぎず弱すぎず、熱が均等に回っているか分かりやすいんです」

「竈や鉄鍋の職人さんには『まだこれでやるの』と驚かれます」

薪は火力のある広葉樹のナラ。煮る前に食材を入れるのは、40年以上前につくられた「鰻ざる」と呼ばれる深めの竹かご。柔らかく煮た素材を傷つけず、一度に引き上げられるように考案された「敷きざる」など、鮒佐はオートメーション化が進む現代に逆行するような道具を使い、手仕事にこだわり続けている。

敷きざるは鍋底に素材が付かないため、焦げ付き防止にもなっている。

「今日煮て、明日の味を作る」タレの秘密

その伝統の味の決め手がタレだ。創業から関東大震災と第二次世界大戦中の一時休業で2度焼失したが、現在は昭和22年に三代目がつくり直した初代のタレを受け継ぎながら、「継ぎ足し」ではなく、日々「作り続け」ている。

「老舗の鰻屋や焼き鳥屋のように、元ダレに若ダレを継ぎ足すのとは異なります。食材を煮るごとにタレに風味がつくので、同じ素材を続けると味が偏る。なので、たとえば昆布を煮て出汁を抽出した後、海老を煮てコクを出すといったように商品をみながらタレを壊したり直したり、素材に調整してもらう。今日煮ながら、明日の味を作るんです」

タレに使用する醤油はヤマサの特撰醤油。タレの状態を見て適宜加えている。

竈の薪をくべて、ひしゃくですくったタレを鉄鍋に入れる。そこに素材を入れて煮立て、仕上がるまでが平均20分。その間、五代目は竈の傍らに立ち続けるが味見は一切しない。仕上がりを報せるタイマー音もない。

味の見極めは五感だけが頼りだという。

「強火で何分とかレシピはありません。その日の体調で感じ方が変わるので味覚にも頼らない。その日の素材の状態やタレの染みこみ方、薪の燃え方、沸き立つ気泡の大きさで判断し、引き上げるタイミングを見極めます。素材、竈、すべてのものに自分が何をしてあげられるかを考え、鮒佐の味を作るんです」

「佃煮は生き物。アベレージで質の高い味をつくるのは経験値しかありません」

それは、一見すると非常にシンプルだが、長年培った経験値が無ければ作られない。
他人には任せず、必ず当主が作り、一子相伝で受け継ぐ。

「家業に誠実たれ」という初代の信念は、時をかけて鮒佐の味に宿されているのだ。

その日に必要な商品を煮て、粗熱を取ったあと小分けにパック詰めをする。

食通たちに愛されてきた深い味

鮒佐が通年で提供している佃煮は6種類。素材は長年の付き合いで信頼関係を築いた仲卸から旬のもの仕入れている。

軽快な食感が心地良い小ぶりの芝海老、味が入りすぎないように贅沢に間引いた牛蒡、厚く幅広の日高昆布、磯の風味が際立ったしらす、一本まるごとふわふわに煮た江戸前穴子、そして浅蜊。どれも一般的な甘辛い佃煮ではなく、素材の風味を引き出し、辛口に仕立てたまさに江戸前の味だ。

昆布、ごぼう、あさり、海老、しらすの5種類(小はぜがある時期は6種類)の詰め合わせ「曲物(まげもの)」は80g2300円〜

他にも季節限定で、初夏に若あゆ、秋に小はぜ、冬から春は五代目が復活させた海苔がある。

その味は、泉鏡花や谷崎潤一郎、永井荷風といった錚々たる文豪に愛されきた。現在も噺家をはじめ、何代にも渡って食卓の定番としている贔屓筋が多い。

お店は浅草橋駅東口から徒歩3分の江戸通り沿いにたつ。通販も可。

(後編へ続く)

[後編]160年余、守り続ける江戸前の佃煮。[鮒佐]5代目・大野佐吉さんインタビュー

文:藤谷 良介

写真:添田 康平