浅草橋に所縁のある方ならば、誰もがご存知だと思われるお店が「水新菜館」。お昼どきは行列必至、来店客から絶賛の声が続々上がる、この街きっての大人気中華料理店です。
しかし、まだお店に行ったことがない人からは、「なぜこんなにも多くの人が足を運ぶの?」「他の中華料理店となにが違うの?」という疑問もちらほら。そこで今回は、「水新菜館」人気の秘密を、オーナーの寺田規行さんにたっぷりうかがってきました。
とびきりチャーミングな笑顔で来客者をトリコにする〝おもてなしの達人〟
お邪魔したのは、赤い看板がひときわ目を引く中華料理店「水新菜館」。ちなみに店名は〝すいしん〟ではなく〝みずしん〟と呼びます。
「うちの創業は1897年。最初は果物屋だったんですよ。創業者である私の曾祖父〝新次郎〟が〝水菓子(フルーツのこと)〟を売る店で、『水新』という名前がつけられたんです」
オーナーの寺田規行さんは、オープン前の忙しい時間帯にもかかわらず、やわらかな物腰と素敵な笑顔でインタビューに応じてくれました。
「曾祖父のあとを継いだ祖父は婿養子で、若い頃は海外で働いていたんです。なので祖父は、その経緯を活かして、洋食や甘味も提供するようになりました。当時では画期的な〝生ビール〟も販売していたんですよ」
お店が現在の場所に移転したのは大正12年のこと。当時の一帯は銀行などの金融会社や問屋が多く、休憩がてらお店に立ち寄る人が多かったといいます。
「父の代になってからは、甘味喫茶をメインにしていました。アイスクリームやみつ豆が人気でしたね。その頃からラーメンや焼きそばなんかの軽食も扱うようになっていましたが、まだ中華料理店という業態ではなかったかな」
お店が中華料理店として営業するようになったのは、寺田さんがお店を継いでからのこと。お父様が50歳でお亡くなりになり、寺田さんは大学卒業後すぐに「水新」の看板を背負うことになりました。
「若い頃は飲食店でのアルバイトをいくつもやったし、大学は生産物加工や食品研究をするために明治大学の農学部に通っていました。醸造業にも興味があったので、いつかはそういう仕事をしたいな、と夢見ていた時期もありましたね。でも父がいなくなって、このお店を守らなきゃいけなくなった。そこで『ラーメンと焼きそばが人気だったな、じゃあ中華料理店にしてみようか』と思いついたんです」
思い立ったら即行動するのが寺田さんの凄いところ。「中華をやる」と決めてすぐ、1年間さまざまな中華料理店に修行へ出向き、がむしゃらになってノウハウを学んだそうです。
「個人的に餃子が好きだったので、餃子の研究には特に熱を入れましたね」
そう言っておちゃめに笑う寺田さん。お話を聞いているこちらも、つられて思わず顔が綻んでしまいます。
装いを新たに、お店は現在の店名「水新菜館」としてスタートを切りました。しかし、当初は試行錯誤の連続。そこへひとりの救世主が現れたのです。
「派遣されてやってきた調理師さんが、今やうちの代名詞ともいえる〝広東麺〟や〝あんかけ焼きそば〟を発案してくれたんです。ちなみに、イチオシの看板メニュー〝小籠包〟は、浜松町の名店の貴重なレシピを参考にしたもの。ありがたいことに、色んな人の協力あって『水新菜館』は成長していきました」
人が人を呼ぶ。素敵な人の周りには、素敵な人が集まるのだということがよくわかるエピソードでした。
揺るぎない信念のルーツは各国の名店で経験した〝サービス〟
寺田さんが、お店の奥へと案内してくれました。するとそこには、さきほどとは一転、ゴージャスでシックな空間が。
「ここは『水新はなれ 紅(ほん)』。ソムリエでもある息子が開業したワインバーで、水新の料理とワインのマリアージュが楽しめるお店なんです」
寺田さんの息子さんは、12年間ニューオータニで修行を積み、「トゥールダルジャン」にも勤めていた著名なワインソムリエ。「紅」は〝ワイン好きの聖地〟として注目を集めている、知る人ぞ知る名店です。
「幼い頃から、息子をよく海外に連れていっていましたね。というのも、私が若い頃にフランスの三ツ星レストランで深く感銘を受けたのがきっかけで、世界各国のレストランに足を運んでいたからなんです」
寺田さんが海外の名店をおとずれて驚いたのは、行き届いた完璧なサービス。特に、フランスの名だたるフレンチレストランからは、数えきれないほどの心得を学んだそうです。
「同じ料理でも、〝楽しく快適な空間で食べる〟のと、〝そうでない空間で食べる〟ものは全く違うものになります。店内が清潔なのはもちろんのこと、トイレや厨房も常にピカピカにする。そして、おとずれた方に楽しんでもらう。サービスが良ければ、料理はもっともっと美味しく感じられるんです」
フランス、スイス、オーストラリア、香港……寺田さんは世界中に赴き、サービスの神髄を会得しました。そのサービス精神は、メニューからもうかがえます。リーズナブルな慣れ親しんだ料理から、街中華ではなかなかお目にかかれない高級メニュー、そして、創意工夫を凝らしたオリジナル料理。来店者に驚きと感動を味わってほしいと、日々新たなメニューが続々と誕生しています。
「加えて、海外では中華料理とワインのマリアージュを楽しむ方が多いことも知りました。油を多く使う中華料理は、ワインとの相性が抜群なんですよ」
息子さんがソムリエになったのは、寺田さんの影響が大きいことは明白。
「今では私より息子の方がワインに詳しくなっちゃって」
息子さんがオーナーを務めるお店でお話する寺田さんは、誇らしげで、先ほどよりさらににこやかになっていました。奇しくもワインの原料はブドウ。巡り巡って、創業当時と同じく〝水菓子〟と密接な関係のお店になりつつあるのです。
「いずれは息子に看板を譲ることになるでしょう。どんなお店にするかは息子次第。私は引退したら、のんびりクルーズ船で世界旅行を楽しみたいです。中華やワインも好きだけど、旅行や船も大好きなんでね」
好奇心旺盛で多趣味な寺田さんの夢は、まだまだ膨らむばかりです。
トレードマークの蝶ネクタイを首元に、いざ開店!
再び「水新菜館」へ戻ると、厨房は開店前の準備で大忙し。スタッフの皆さんとともに、寺田さんも準備に余念がありません。
お店の皆さんは、開店前にまかないを食べるのがルーティーンだそう。まかないも美味しそう……と眺めていると、寺田さんがおすすめのメニューをいくつも教えてくれました。どんなに忙しくても、相手が取材陣であっても、サービス精神を忘れることはありません。
ちなみに、ずっと気になっていたカラフルな蝶ネクタイについてもうかがってみました。
「お客さんとの会話のきっかけになれば良いな、と思って、カラフルな蝶ネクタイやサスペンダーを集めるようになりました。いまではいくつ持ってるかもわからないほどたくさんコレクションしています」
寺田さんは終始楽しげな雰囲気を全身に纏っていました。お客さんに楽しんでもらうためには、まずは本人が楽しむ――〝サービス〟の本質を、寺田さんから教わったように感じました。
お店が開くと、寺田さんの本領が発揮されます。朗らかで溌剌としたかけ声、スムーズで軽快な足取り、そして、距離感や間合いを絶妙に図ったお客さんたちと掛け合い。料理が到着する前から、「楽しい!」という気持ちがどんどん膨らんでいきます。
実は、筆者が同店をおとずれたのははじめて。行列の先にはこんなに居心地のいい空間が広がっていたのか、と、ただただ驚くばかりでした。
開店と同時に、店内には活気と美味しそうな香りが充満。……ああもう我慢できない! ということで、寺田さんにうかがったおすすめメニューを堪能すべく、ランチタイムに突入です!
お店の様子や絶品メニューは、別記事で詳しくレポートいたします♪
味も接客も天下一品!絶品中華料理店「水新菜館」で極上のランチタイムを満喫♪撮影/伊勢 新九朗
取材・文/牧 五百音