浅草橋駅を東口から出てすぐ正面の横断歩道を渡り、そのまま江戸通りを北に3~4分歩いていると、なにやら香ばしい匂いが……。
昨年秋に、長年お店を構えていた場所から少し離れ、また同じ柳橋の地に移転オープンしたばかり。店主自ら鶏を焼く光景に、行き交う人々は視線を奪われ食欲をそそられる…そんな焼き鳥が名物のお弁当屋さんがありました。
時代の流れとともに変わっていくお店、変わらない味と心。
地元の人に愛され続ける「鳥豊」をご紹介します。
大正から令和へ……鳥豊の歴史
大正元年。鳥豊は精肉店として創業しました。
現在の店主である神品清一(こうじな せいいち)さんは三代目にあたります。
ちなみに「鳥豊」という店名は、創業者であるおじいさんのお名前、「豊作」が由来だそうです。
当時の柳橋には多くの料亭や、個人経営の小料理屋などが建ち並び、それらの店舗に肉を卸すことが主業でした。また、給食用に小学校にも配達していたとのこと。
そうやって柳橋の街に馴染み、長年精肉店として営んできましたが、時代とともに街の風景は移り変わります。高層ビルやマンションが増え、チェーン飲食店が続々と登場してきたことにより、古くからのお店はだんだんと姿を消しました。少子化の影響から給食の需要も減ってしまうなど、元来の卸先が少なくなってきたことから、並行して徐々にお惣菜やお弁当の販売も始めていったそうです。
そして、平成29年3月。
鳥豊は精肉店としての歴史に幕を閉じました。
しかしながら、ずっと注ぎ足しで味を守ってきたタレと、愛用してきた焼き台をこのまま手放してしまうのは惜しいと考えた神品さんは、鳥豊をお弁当・お惣菜の専門店として営業を続けることを決意します。
さらに最近になって、ご実家でもあった前店舗を取り囲むように高層マンションの建設計画が始まり、圧迫感などの住みづらさを懸念して土地を離れることにしたそうです。
それを機に物件を探し、令和2年11月、現在の場所に移転オープンしました。
こうして、時代の流れとともに変化を受け入れつつも、鳥豊は100年以上経った今も柳橋の地で営業を続けています。
ちなみに、現在使っている鶏肉は、精肉店時代と同じ組合から仕入れているとのこと。つまり、場所は変われど、肉もタレも焼く人も同じ、正真正銘の“変わらない味”をいただけるというわけです。
街の人に親しまれる新たなお店
新店舗に移転してからは、内装はコンパクトになったものの、人通りの多い大通りに面したことで新規のお客さんが増えたとのことです。
実際、我々が取材している間にも多くのお客さんが訪れました。母娘の2人組や、サラリーマン風の男性、常連であろうご年配の方など、客層も幅広いように感じます。
立地や店の広さ以外にも、以前の店では売り場に背を向けて立って調理していたものが、今では通りに向かいお客さんと対面する造りに変わったため、お客さんとのコミュニケーションが増えたことが新鮮だったそうです。
お客側としても、目の前でいい音と匂いをさせながらお肉を焼かれることで一層食欲をそそられます……。
神品さんがひとつ気になされていたのは、昔から通ってくれる常連さんたちのこと。
たった徒歩数分の距離を移動しただけですが、ご高齢で足腰の弱い方も多いため、その点は気がかりのようでした。
お昼時はお弁当、夕方からは焼き鳥やお惣菜をメインに用意しています。
なかでも、お惣菜の「とり皮ポン酢」は最近できたメニューだそうで、なんと、元中華料理屋で80歳のアルバイトの男性が作っているのだとか! その一方で、16歳の女子高生アルバイトも働いているらしく、店員さん側の年齢層も幅広い……。
皆が地元の知り合いで構成されているとのことで、鳥豊は内からも外からも地域の人に根差したお店なんですね。
間違いない! リピーター続出の「きじ焼弁当」
取材中も目の前でとめどなく焼かれ続ける焼き鳥。
インタビューを終えるころにはすっかり“焼き鳥の口”になっていた我々は、欲望のままに焼き鳥、お弁当、お惣菜を買い求め、すぐさま事務所にトンボ返りしました。
香ばしく焼きあがった鶏モモ肉がご飯の上にゴロゴロとのっかり、その上に特性のタレをかけていただきます。
それだけでも白米が進みますが、さらに甘みのあるネギ、そしてたっぷり降りかかったノリとゴマが食欲を増幅させます。
電子レンジで温める際は、蓋をして容器のまま数十秒温めるとよいそうです。
……ちなみに、恥ずかしながら私は最初勘違いしていたのですが、「きじ焼き」の「きじ」は鳥の「雉」ではありません。肉などをタレにつけて焼く日本伝統の調理法のことを「きじ焼き」というそうです。
鶏モモとねぎまが2本ずつ、レバーが1本という定番の布陣。
ジューシーでホクホクとした鶏モモは絶品で、さすが元精肉店の焼き鳥です! タレは主張しすぎない甘辛さで、しっかりと肉の美味しさを引き立たせています。
目の前で焼かれているのを見ていたので余計に美味しく感じられました。
上記した通り、元中華料理屋の腕が光る本格的なとり皮ポン酢。
私が今まで大衆居酒屋などで食べてきたものとは食感が全く異なり、柔らかいけど歯応えのある初めてのとり皮体験でした。きゅうりのシャキシャキ感とも相性抜群で、とても美味しかったです。
他にも手羽先や煮玉子など、どれも間違いない逸品でした。
実は昨年末にも一度、普通にお昼ごはんとして弊社で利用させてもらっています。
その時のキーマカレーやそぼろ弁当の写真や感想も、「浅草橋を歩く。」のインスタグラムからぜひご覧ください!
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これからも通い続けたい地元のお店
店の形は変わりつつも、三代目として鳥豊とその味を守り続ける神品さん。
お店を継ぐ前は、テニスやスキューバダイビングのインストラクターをされていたというスポーツマンでした。
そしてさらに、「柳橋の焼き鳥屋さん」の他に、「五反田のカニ料理屋さん」の顔も持っています。
日中は鳥豊で焼き場に立つ一方で、夜は五反田の「DEEP SEA CRAB」というカニ料理専門店のシェフとして十数年調理場に立っている神品さん。
取材中、「もしかしたら、いつか浅草橋でもカニを食べられるようになるかも……」と意味深な発言も。何やら野望をお持ちなのでしょうか。期待が膨らみます!
今回お話させていただき、穏やかで物腰の柔らかい印象を受けましたが、実は相当パワフルでバイタリティにあふれた方でした。
時代の逆境にも負かされず、鳥豊が今なお柳橋で続いている理由もわかった気がします。
そして今回、取材中の話の流れから、「長谷川商店」や「梅寿司」のご主人とは2つ上の先輩という関係だったり、「チキンプレイス」のマスターとは中高の同級生だということが発覚。
特に示し合わせたわけでもなく、同じ地元で青年期を過ごした者同士が、時を経てまた同じ地元のご近所でお店をやっているというのは、なんだか非常に“エモさ”を感じずにはいられません。
神品さんに「この街の良いところ」をうかがったところ、「お客さんがみんないい人です」と一言。
街の優しい空気が、地元にお店を根付かせ、そこにまたいいお客が通う……そんな好循環が、浅草橋には生まれているのかもしれません。
鳥豊の店内には、使用されていなビールサーバーがありました。
コロナの脅威が終息したら、店内のカウンターを利用して立ち飲み屋も始めたいと目論んでいるのだそう。
まだまだ可能性を秘めた鳥豊。これからも楽しみで仕方ありません。
店舗情報
「鳥豊」
営業時間:11:00~20:00ごろまで
※コロナ禍の影響で営業時間に変動あり
定休日:日曜・祝日
お問い合わせ:03-3851-5009
文:小林
撮影:伊勢 新九朗