前から気になる店ではあった。
昔、住んでいたマンションのほど近くにある老舗そば店。
私が引っ越す前、20年以上前からあったその店を訪れたのは、「浅草橋を歩く。」の取材先を探しに向かったときが初めてだった。
「おそば」の文字が蕎麦欲をそそる
歴史を感じる緑色の看板には「おそば すぎ栄」。
店の外には今では少なくなった食品サンプル。食いしん坊ならば、これを見ただけでワクワクが止まらない。
さらに、「手造りそばの店」と書かれた立て札が陳列され、季節のおすすめメニューが貼られている。
見るからに歴史を感じる蕎麦屋の中に入るための扉は、タッチ式の自動ドア。
上には、年季の入った茶色い暖簾がかかっている。暖簾の一番右に書かれた文字は、「御膳」。少々、お値段のはる定食屋さんでよく見るその文字は、「食事」を意味する。
この店、実は、朝から晩までいつも暖簾がかかっているのが特徴のひとつ。つまり、ランチから夜までぶっ通しで営業しているということなのだ。いまどき、アイドルタイムを設けていないお店も珍しい。
自動ドアを開け、中に入ると、外観から想像した通りの懐かしい蕎麦屋さんの風情を感じる。
一つ一つの小物に歴史を感じずにはいられない。同行した編集長は箸置きを見て感激! すかさずシャッターを押していた。どうやら、30年くらい前に先代が好みで選んだそう。
壁に目を向けると、壁一面に大きな絵画が……。
金色と青色が印象的なこの絵は、浅草橋が誇る名所のひとつ「柳橋」を描いたものだそう。店内の町の蕎麦屋然とした空間を、贅沢で雅な雰囲気に変貌させてくれている。
席に付いて、これまた歴史を感じるメニューをめくる。
そばだけでなく、うどんや丼ものも充実したメニューを見ていると、そこかしこに書かれた絵が気になってくる。
その昔、専門の業者さんに書いてもらったらしいその絵には、石臼をひいてそば粉を作る職人や、美味しそうにそばを啜る町人が描かれている。良く見ると、なんとも可愛いらしい。
鳥越神社からの注文も頂く町の蕎麦屋さん
膨大なメニューの中で、なかなか選びきれずにいると、店長の名倉伸一さんが穏やかな口調でオススメを教えてくれた。
「当店で人気のメニューは、冷やし磯力そばとカレー南蛮ですね。そばは自家製麺を使い、カレー南蛮は、先代から受け継いだ味を守り、カレー粉から作っています」。
それならばと、冷やし磯力そばとカレー南蛮を、うどんで注文。せっかくなので、丼ものの中から、かつ丼も追加してみた。
待っている間、名倉さんにお店の歴史などを教えて頂いた。
店長の伸一さんは、昭和49年生まれで2代目。長男だから継いで当たり前のように言われ、親御さんから習って小学校低学年から出前などの手伝いをしていたそうだ。
先代は愛知県出身で、10代の時に上京。日本橋のそば・懐石の名店「紅葉川」で修行を積まれたそうだ。そんな先代の指導のもと。そば作りの腕を磨き、同じく「柳北小学校」出身の奥様と共に店を切り盛りしてきた。先代が始めたお店も、もう54年目だそう。
どういうお客さんが多いか伺ってみると、平日は近隣で働くビジネスパーソンとご家族。土曜は地元の方が多いそうだ。
目の前に鎮座される「鳥越神社」から、水上蔡や月例祭、ご祈祷の帰りに来るお客さんも多いそう。
「行事があるときは、しょっちゅう鳥越神社さんにはご注文いただいています」ということで、鳥越神社とのご縁も相当に深い。ちなみに、伸一さんは、昔は神輿も担いでいたものの、今は引退したそうだ。
冷やし磯力そばとカレー南蛮うどん
お話を伺っている内に、そばとうどんと丼ものが続けざまに到着。
まずは、「冷やし磯力そば」(900円)。揚げ餅、大根おろし、うずらの卵、コーン入りサラダ、海苔など、こんもりと具材が乗る。盛りだくさんにもかかわらず、ヘルシーな感じがうれしい。
蕎麦は、ほどよい歯ごたえ。創業以来、53年継ぎ足して使っているかえしと、宗田鰹(老舗鰹節メーカー・マルサヤ製)と鯖節を混合した出汁でできた麺つゆと併せて、安心できる味。何度食べても飽きなさそうな昔ながらの味と、具材のチャレンジ性のギャップが楽しい。ほかでは、あまり見たことがない組み合わせだ。
「蕎麦は自家製で、2種類のつなぎを使って、こしとのど越しをよくするようにしています」とは、名倉さん。また、「2種類の節を使うことで、薫りとコクがでるようにしています」と、蕎麦もかえしも2種類にこだわっているのが特徴的だ。
ちなみに、鰹節メーカーの「マルサヤ」さんは、伝説の番組「タモリ倶楽部」でもとりあげられ、タモリさんもお取り寄せしているんだとか。
続いて登場するのは、「カレー南蛮うどん」(750円)。こちらは、とにかく茶色い。ところどころに玉ねぎや豚肉が浮いている、これぞ、昔ながらの蕎麦屋のカレーうどんという見た目にワクワクする。
とはいえ、見た目の印象とは、味は少し異なる。トロトロ具合は、よくある片栗粉を使った蕎麦屋のカレーうどんの感じがするが、スパイシーさが強め。でも、辛すぎるということではなく、ほどよい辛さと香りが楽しめる。
こちらも自家製麺のうどんは太麺で、トロトロのスープによく絡む。コシはあまり強くない分、こちらもお子さんも含めて安心して食べられる。
そのほかのメニューも気になって……
そして、最後に「かつ丼(並)」(800円)。取材はふたりなのに、まさかの3品という展開も恐るべきだが、並盛りでもなかなかの大盛りで、すでに冷やし磯力そばとカレー南蛮を食べていたのを後悔するほど。
豚肉は肉厚で充実。甘いタレと併せて、これぞかつ丼!を味あわせてくれる。玉ねぎと併せて、絶妙な煮込まれ具合でたまらない。
丼物には、自家製の漬物と味噌汁がついてくるのもありがたい。
腹がはち切れんばかりの大満足で完食。編集長は痛風もちだと聞いたが、そりゃ、取材のたびにこれだけ喰らっていたら尿酸値があふれでるわ! と、その場でツッコミたいのをおさえて、この場でツッコミいれさせて頂いた(笑)。
朝から晩まで暖簾は下げずの心意気
最後に、気になっていたことを伸一さんに伺ってみた。
ー昼営業と夜営業の間、休憩をはさむ店も多い中、なんで、こちらは朝から晩まで、いつも暖簾がかかっているんですか?
「お客さんが、いつお腹が空くかわからないですから。蕎麦は、ファーストフード。基本的に、気軽に食べに来てほしいと思っています」。
長年、下町・浅草橋の江戸っ子たちの胃袋を支えてきただけに、その営業イズムは江戸っ子も喜ぶ粋なスタイルだ。
さらに、続けて、「蕎麦屋とはいえ、これもものづくりのひとつ。日々、しっかりと基本に忠実な仕事をしているつもりです。同じような作業ですが、もっと美味しくなるような工夫と創造は大事にしています。それと、もちろん、たっぷりの愛情を込めて……」。
そんなことを照れくさそうに話す名倉さんからは、蕎麦職人としての矜持がにじみ出ているように感じた。
気軽に食べられながらも、素材にも作り方にも、端々にこだわりと愛情を感じる蕎麦、うどん、丼物。こんな老舗が近所にあるのだから、本当に浅草橋は味わい深い町である。
出前もウエルカム! 店主自らが浅草橋中を駆け回ってます。
ごちそうさまでした。
【すぎ栄】
住所:東京都台東区浅草橋3-34-8
電話:03-3851-2844
営業時間:(月~金)11:00~20:30、(土)11:00~15:00
定休日:日
余談になるが、編集長曰く、「以前、取材したバシッ子のひとりは、蕎麦といえばすぎ栄さんというくらいに、幼少期は家族でしょっちゅう出前を頼んでいたそうです」というバシッ子の、浅草橋との想い出インタビューもあわせてどうぞ。
【HUMANS OF ASAKUSABASHI】シリコンバレーで青春を過ごした彼女は、なぜいま浅草橋に住んでいるのか?-ディニティー夏幸-
取材・文/いわさき
写真/伊勢 新九朗