[後編]昨日より今日、今日より明日、いいものを。「季節の佃煮 小松屋」四代目・秋元治さんインタビュー

隅田川と神田川の合流地点である柳橋は、江戸中期から料亭や船宿が建ち並び、芸者衆が街を彩る江戸随一の花街として栄えていた。

現在も川のほとりには船宿が商いを続け、春から夏にかけて趣深い屋形船が行き交い、当時の面影を色濃く残している。

昭和初期に船宿として創業した『小松屋』は、戦後より料亭のお土産屋を始めた。外様ながらも地に足のついた商いで根を張り、現在も上質な素材と丁寧な手仕事にこだわった製法で、“本物の”江戸前佃煮を伝え続けている。

[前編]昨日より今日、今日より明日、いいものを。「季節の佃煮 小松屋」四代目・秋元治さんインタビュー

柳橋で生まれ、店で育った昭和の情景

秋元治さんは昭和34年、3人兄妹の長男として生まれた。

「子どもの頃はまだ川が整備されていなくて。台風が来ると上流のお堀の水が溢れて、そこから流れてきた鯉とか鮒がぷかぷか浮いてきて玉網で救って遊んでいたなぁ」

昭和42年頃、まだ護岸がなかった頃の柳橋で、妹たちの手をひく治さん(画像提供:小松屋)

昭和42年頃、まだ護岸がなかった頃の柳橋で、妹たちの手をひく治さん(画像提供:小松屋)

赤ん坊の頃は店の中にあるベビーベッドであやされ、幼稚園に入っても帰ったら店で昼寝をして夕飯も食べて、近所の自宅は寝るだけ。下町で生まれ、店で育つ昭和の商人を地で行く暮らしだった。

昭和36年の柳橋周辺。「両国の花火大会の日は、ずらりと船が並んでお座敷にして、芸者さんと旦那さんが乗ってお料理食べたり、風流でしたねぇ」

昭和36年の柳橋周辺。「両国の花火大会の日は、ずらりと船が並んでお座敷にして、芸者さんと旦那さんが乗ってお料理食べたり、風流でしたねぇ」

「お店の手伝いは小学生からやっていました。曲げわっぱに屋号の焼き印を押すのが私の仕事。七輪で炭を起こして鉄の小手を入れて、団扇であおいで赤くなったらじゅっと押す。失敗できないから大変だったけど、堂々と火遊びができるから楽しかったね」

「人と同じことをやるな」父から学んだ“職人”の矜持

父である三代目と職人たちの背中を見ながら育った治さんは、大学を出た後、大阪の老舗佃煮屋『淀昆布』へ修行に出た。

「外の世界を見ておきたくて。『淀昆布』は大阪の佃煮にしては甘くなく、余計なものを入れていないからうちと合っていたんです。製造工場と売場の両方を経験して、すごく勉強になりましたね」

「肩書きがものを言う東京都は違って、大阪は実力主義。それを体で学べたのはいい経験になりました」

「肩書きがものを言う東京都は違って、大阪は実力主義。それを体で学べたのはいい経験になりました」

そして2年後に戻って店に入り、職人たちとともに『小松屋』の味を学び始めた。伝統の味を守り続けてきた三代目と新しい風を受けて帰ってきた治さんが衝突することは、一度や二度ではなかったという。

「『うちの味にケチつけるんじゃねえ!』『やってみないと分からないじゃないか!』ってしょっちゅう怒鳴り合い。若くて負けん気が強かったからね。お互い店のことをより良くしたいって思いは一緒だから、ひかなかった」

真剣にぶつかり合ったからこそ血肉となって受け継がれる哲学がある。
それは「人と同じことはやるな」という職人の矜持だ。

「毎日、同じものをつくるのは工場長。自分にしかできないことをやりながら、常に『今日より明日』進化させるのが職人だ、と。その教えは今でも心に刻んでいます」

今も変わらず船が浮かぶ川の上で毎日佃煮を作る。「いつも同じではなく、素材を対話しながら作ることが大事なんです」

今も変わらず船が浮かぶ川の上で毎日佃煮を作る。「いつも同じではなく、素材を対話しながら作ることが大事なんです」

移りゆく時代を見極め、進化させる。

ここにしかないものを創り、進化させる。

治さんのその姿勢を最も体現しているのが、仕入れだろう。

通信手段が発達した今、仕入れ元との連絡は電話やメール、SNSで行われるのが日常となっているが、治さんは必ず顔を出す。

「もちろんSNSも使いますが、月に一度は必ず顔を見せて、払いは現金一本。そうすることで開拓した新しい仕入れ先からも早く信用され、続けることで良いものが少ししか入らなかった時に、うちの顔を浮かべてもらえる。だから、その日一番の穴子が銀座の寿司屋には無いのにうちにはあったりする。すべては、いい素材を確保する為なんです」

「河岸での仕入れは、今でも昔ながらの対面商売」信用を積み上げ心を通わせることで、いいものが優先的に入るとか。

「河岸での仕入れは、今でも昔ながらの対面商売」信用を積み上げ心を通わせることで、いいものが優先的に入るとか。

そして、お客さんへの届け方にも新しい風を取り入れる。

これまで文字だけだったしおりに写真を入れて分かりやすくし、ホームページではネット販売も始め、動画で柳橋の魅力や小松屋の歴史を紹介している。

それらは、自ら「手伝いたい」と志願して現在、共に店に立つ次女・梨花さんのアイデアだという。

「美味しいお酒やいいお米をがあった時『これで小松屋の佃煮があったら最高だな』ってそう思われる存在でありたい」その思いは次代に受け継がれている。

「美味しいお酒やいいお米をがあった時『これで小松屋の佃煮があったら最高だな』ってそう思われる存在でありたい」その思いは次代に受け継がれている。

「老舗ってのはずっと同じことをやっていてはダメなんです。時代は常に進化していますから。自分がお客様の立場だったら何が喜んでもらえるかを考え、軸をぶらさずに文明の利器を取り入れています」

「柳橋の格式と情緒溢れる風景を伝えていきたい」

さらに、治さんは柳橋の魅力も積極的に発信している。

一枚のパンフレットを渡された。

『柳橋ぶらぶらMAP』と題された二つ折のその中には、マップとともに界隈の15の飲食店やお土産屋が紹介され、裏面には柳橋の歴史が紹介されている。

これは15年前から柳橋めぐり商店街が始めた活動だという。

「一般的な商店街は商売敵なんですが、この界隈はお互いを紹介し合う環境なんです。商店会は月に一度集まり、若手に街の歴史を紹介したり、MAPにどういった写真を入れたら良いか等を皆で話し合う。家族経営が多いから土日にイベントをやって疲弊せず、日々の売り上げに貢献する活動に注力しているんです」

『柳橋ぶらぶらMAP』は、各店だけでなく公共の施設でも配布している。これを出したことでメディアの取材も増え、集客につながった。

『柳橋ぶらぶらMAP』は、各店だけでなく公共の施設でも配布している。これを出したことでメディアの取材も増え、集客につながった。

街全体で一丸となって守る意識があるからこそ、脈々と紡がれる格式が漂っているのだろう。他の都内の観光地とは異なり、柳橋には煩わしい人混みや「買ってください」という姿勢はないが、料亭時代から続く風光明媚な情景と誇り高い魂が脈々と受け継がれている。

「これからも『小松屋』の味、そして自分が生まれ育った柳橋の素晴らしさを伝えていきたいですね」

取材・文/藤谷良介
写真/伊勢新九朗